函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、秀衡の奇策!!

2022-05-23 | 歴史

人を信じ過ぎる弟と人を信じられない兄

兄弟としての情は有っても共存は出来そうにありません

首桶の前でも猜疑心を露わにして罵るのかとばかり思っ

ていましたが、ドラマとは言え、首桶を抱え嗚咽しなが

ら話しかける頼朝を見ていると何か切ないものを感じま

すよね 

 

何とか秀衡の許へ辿り着いた義経でしたが、安住の地と

はなりませんでしたね

八カ月後に秀衡が亡くなりますが、亡くなる間際、義経

を担ぎ頼朝に対抗する様に遺言を残しますが… 

秀衡は遺言だけでは心許なかったのでしょうか? 

考えられない様な奇策を言い残したと言われています

何と、自分の正室と長男・国衡を結婚させるのです。 

国衡と泰衡は父・秀衡の目から見てもかなり険悪だっ

たのでしょうね 

曲がりなりにも、この結婚により国衡は泰衡の義父と

なる訳です。 

窮余の一策ですが、国衡と泰衡の相続争いは収まった

感じがしません 

頼朝による奥州征伐がもう少し遅ければ、遺言は反故

となり兄弟争いが続いた筈… 

奥州征伐の直前に泰衡によって忠衡と通衡が攻め滅ぼ

された事を見ても明らかです 

秀衡の遺言に忠実だった弟達を粛正したでしょうか? ?

国衡は鎌倉軍の和田義盛と戦い討ち死にしますが、そ

の後、坂を転げ落ちるように滅亡の道を進んだ感があ

ります

奥州に覇を唱えた藤原氏の最後としては呆気なさ過ぎ

ます 

兵力と財力を兼ね備えていたにも関わらず、人に恵ま

れなかったとも言えますね。 

大軍になればなるほど統率力が必要なのですが、泰衡

には無理だった見たいです 

清衡→基衡→秀衡と三代の英雄の後なので仕方ありま

せん。 

後北条氏の滅亡とだぶって見えるのは僕だけでしょう

か? 

優秀な人材が四代も続く方が有りえない事なのかも知

れません

 

秀衡の正室と言われているのが徳尼公ですが、藤原基

成の娘です 

基成は義経の母・常盤御前の再婚相手・一条長成の従

兄弟です。 

平治の乱以前には陸奥守・鎮守府将軍として平泉に下

向。 

この時に秀衡の父・基衡と誼を通じていたようですね

平治の乱では異母弟・藤原信頼に連座する形で陸奥国

に流され頼朝による奥州征伐まで居続けたと言われて

います。 

義経が奥州藤原氏を頼ったのも頷けますね 

奥州・藤原氏は秀衡が亡くならなければ簡単に滅亡す

る事はなかったと僕は思っています。

義経の首を差し出しても、攻め込まれるのは確実だと

秀衡なら普通に考えたでしょうね 

座して死を待つより義経を大将軍として戦いを挑んだ

 

息子を殺された武田信義をはじめ、反鎌倉として兵を

挙げそうな武士も相当数いたでしょうし、西と東から

挟み撃ちになれば屈強な坂東武者でもどうなったか分

かりません 

もしかして?藤原秀郷の子孫だと言われている奥州藤

原氏が全国を統一した可能性すらあるのです 

義経にとっては、返す返すも秀衡の死が悔やまれます 

これも天命と言うものなのでしょうか?? 

運も実力の内と思うしかありませんよね

 

 

 

コメント
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