函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、鳥居忠吉の諫言!!

2023-03-06 | 歴史

ドラマでは… 

主君が家臣を信じるか、信じられぬ家臣を皆殺しにするか、

二つに一つしかないと鳥居忠吉に言われ迷いが飛んだ家康

自ら戦いの矢面に立つ決心を固めたみたいですね 

徐々に優位にたった家康軍から和睦を提示された一揆軍で

すが、もはや受け入れるしかなさそうですね 

一揆軍に加わった渡辺守綱や夏目広次は無罪放免。 

いよいよ一揆軍の軍師・本多正信の登場 

「仏にすがるのは現世が苦しいからじゃ。生きているのが

つらいからじゃ」 

「民を楽にしてやれるのなら仏にすがらずに済む。そのた

めに民はお前にたらふく米を食わせている。」 

「それをなさずして民から救いの場を奪うとは何事じゃ!」

「この大たわけが!」と…松ケン・正信迫真の演技でしたね 

家臣にここまで言われては、さすがに無罪とはいきません。 

三河追放で済んだのが不思議なくらいです 

 そればりか、空誓との約束を悩んでいた家康に…

元の原野に戻すとの秘策を伝授

某臣・本多正信の面目躍如といったところでしょうか

 

和睦後の正信は、加賀に向かい、一向一揆を煽動した

とも言われています? 

正信は参謀を楽しんでいたのか?もしかして、生きが

いを感じていたのかも知れませんね

その後、梟雄・松永久秀にも使えていたといわれてい

ますが?

久秀には気に入られていたらしいのですが、久秀が家

康の同盟者・織田信長の軍門に下った事から久秀の許

を離れたとも言われていますね。 

家康に対する遠慮があったのか?それとも、まだ、家

康との関りを持ちたくなかったのかは分かりませんが…

いつ頃からかは確かではありませんが、正信はおそら

く三河に潜伏していたのでしょうね 

どの様な経緯かは分かりませんが、大久保忠世の推薦

により帰参を許され時には15年の歳月を費やしていた

のです 

裏を返せば、それだけ正信の罪が重かったともとれま

すし 、家康が正信に対しての信頼が厚かった裏返しと

もとれます。

何れにしても、正信の能力を高くかっていたのだけは

間違いなさそうですね 

 

 


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