道三から…
何故?将軍家が鉄砲を大量に必要としているのか探るように言われた光秀
再びの京都出張ですね。
今回の旅費は道三持ちの様ですが…
鉄砲職人・伊平次を探し回りますが、中々見つかりません
久秀だけは居場所をつきとめていた様ですが、肝心の伊平次が首を縦に振りません
そんな佐平次も光秀に会うなり態度を豹変。
何と、光秀が佐平次の命の恩人だったとは
かたくなだった佐平次も光秀の言いなりでしたよね。
光秀の今回のミッションもすんなりいきそうです
久秀から鉄砲は抑止力になると聞かされた光秀ですが、納得したようなしないような
鉄砲戦で有名な長篠の戦…
鉄砲隊を三段にして球詰めなどの時間を短縮、武田の騎馬隊を壊滅させたと言われていますが、
近年の研究ではどうも違っていたと指摘されています
個人的にも鉄砲はさほどの抑止力にはならなかったと思っています。
ところで
塚原卜伝から免許皆伝を授けられたほどの剣豪将軍・義輝
腕前は達人の域に達していたと言われていますね
そんな腕をもってしてでも政治力は別なのです。
結局、義継と久秀に攻められあっけなく殺されてしまいます
将軍の権威など微塵も感じられません
しかし、地方は少し違った様です。
毛利輝元、伊達輝宗、上杉輝虎、島津義久など将軍から一字を与えられたと思われる武将も少な
くありません
遠隔地の大名にとっては足利将軍家の威光が有ったのでしょうか?
何れにしても義輝にとって京都は安住の地とはならなかった様です
近江などに逃れたままの方が天寿を全う出来たのかも知れません。
そう言う意味では悲劇の将軍と言ってよいのかも知れませんね
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