函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

三成の懐刀・島左近!!

2009-09-01 | 歴史
三成が奉公していたお寺で秀吉に出会った時のエピソード
がここで出てくるとは
死に際の人間に三杯ものお茶を飲ませるなんて少し無謀で
すよね

ドラマですので善玉と悪役がいるのは仕方ありませんが…
善が兼続・景勝・三成で悪が家康・正宗として描きたい様
です

個人的には豊臣を滅ぼした後、三百年の太平の礎を作った
家康こそ善の様な気もするのですが…

前田利家の家康に対する恫喝にも驚きました
ドラマとしては面白いのですがいっその事、家康を亡き者
にしてしまえば豊臣の天下がもう少し続いていたかも知れ
ませんね。
ドラマとはいえ流石にそこまで史実を無視する訳にはいか
なかった様ですが…

石田三成の忠臣・島左近が登場しましたね
「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」
とまで言われたほどの名将・島左近。
ドラマではほんの脇役程度でしたが

左近は初め大和の大名筒井順慶に仕えていました。
山崎の合戦での「洞ヶ峠の日和見」で有名な筒井順慶ですね。
因みに、順慶と光秀の奥さんは姉妹なのです

紆余曲折の士官人生だった様ですが、天下に名を馳せていた
左近には仕官の申し込みがかなりあったと言います。
三成もその一人。

最初は断った様ですが、三成の三顧の礼により心を動かされ
た様ですね
『家臣としてではなく自分と対等の立場でいて欲しい』と説
得され四万石の知行地と書かれた書状を目の前で半分に破り
一方を左近に渡したとも言われているのです
実際に左近は一万五千石で召し抱えられていますから全くの
作り話ではなさそうですね。

度々主君を変えた左近ですが関ヶ原の戦いで討ち死にするま
で三成に仕え石田軍の最高司令官を務めました
羽柴秀長・秀保や武田家にも仕えた事があり三方が原の戦い
にも出陣していたとも言われています

その左近の言ったとされる言葉に『信玄・信長・秀吉と天下
第一の人物を見て来たが家康は数段落ちる』と言ったとか…
名将・島左近ですが家康を見る目だけは曇っていた様ですね



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2 コメント

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たしかに無謀。。 (ららすけ)
2009-09-01 18:55:10
 トラックバックありがとうございます。
おっしゃる通り、死に際の人間にお茶
3杯はかなりきついと思いました。(笑)
水一口でも大変な状態ですよね?
しかも最後はかなり元気に飲み干していたところも??という感じですが、ドラマですから~と
流すことに。
 
返信する
ららすけさん (iseッチ)
2009-09-01 19:00:40
こんばんは!!
末期の御茶といったところでしょうか。
実際にはあり得ませんよね(笑)

返信する

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