函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、新説・富士川の戦い!!

2022-03-07 | 歴史

三浦義澄と北条時政の殴り合いで馬が嘶き、驚いた

数万羽の水鳥が一斉に飛び立ち、夜襲と勘違いした

平家軍が我先にと逃げ惑います

史実とは少し違う様ですが、新説・富士川の戦い、

んざらあり得ない話でもなさそうです 

戦わずして勝った頼朝軍。 

一気に都へと進軍するかと思いきや…

領地から離れた戦場で戦っている東国武士達は戦意

が無く早く帰りたいみたいですね 

平家と誼を通じている佐竹氏などに背後を突かれる

可能性もあります 

他の源氏も不穏な動きを見せていす

敵か味方か分からない木曽義仲も迫っているので大

規模な遠征は難しかったでしょうね 

鎌倉を動かず、東国を固めた事が結果的には最上の

策だったと言えます 

 ところで

甲斐源氏・武田信義も以仁王の宣旨を受け息子・一

条忠頼や一族の安田義貞らと信濃で挙兵します 

背後に木曽義仲を抱える信義にとって頼朝の要請を

受け駿河に出陣するしかありませんでした 

木曽義仲が挙兵したのが頼朝が兵を挙げた一か月半

後だと言われていますので、武田信義も背後に敵に

なるかもしれない勢力を抱えていた事になります 

信義は保元・平治の乱には参加していませんので

勢力を温存していたと思われます 

木曽義仲と武田信義は同時期に以仁王の令旨を受

け取っていた筈 

義仲は上野へ信義は駿河へと進行したと言われて

いますが、両陣営が接触しなかった事が信義にと

って幸運だったのかも知れません 

しかし、武田軍単独での平家追討はかなり厳しか

ったでしょうね。 

頼朝軍と合流したのにも必然性がありそうです 

何れにしても、鎌倉幕府内において武田氏がある

程度の勢力を保ったのは間違いなく、頼朝にとっ

ても、御家人達にとっても煙たい存在になった事

だけは確かです 

 気になるのが…助けられた八重姫。

どうやら義時の妻になりそうな臭いがプンプン。 

頼朝には八重を渡さないと宣下していた義時、自

分の妻にするしかなさそうですね

 

 

 

 


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