由布姫に言われ、リツを嫁にするのを承諾した勘助
やはり由布姫にだけは逆らえない様です。
感情的に話す勘助と由布姫を見ていると、男女の係わり合い
が無くとも、相手を思いやれるのではと錯覚してしまいました
もしかすると、究極の愛の形かも知れませんが…
晴信も晴信で越後と木曽、どちらを先に攻めるか由布姫に
決めさせるとは何とも情けない
一国の当主と軍師がいるのに、側室に決めさせるなどあり
得ない話なのです
クジかサイコロで決めた方がまだ良いのでは…
由布姫に聞かなくとも越後を先に攻める事など出来る
訳がないのです。
その木曽を攻め入る最中に越後の毘沙門天が動き出しましたね。
流石、景虎です
それにしても200日の長退陣、双方疲労困憊だった筈です
そのまま退陣を続けていたのなら、武田・上杉両方の国許が
危うくなった筈です。
そこに登場した今川の雪齋
仲立ち出来るのは雪齋しかいなかったかも知れません
雪齋が倒れた時、同席していたのがご存知徳川家康ではないか!!
元信は元服して松平元信と名乗っていたのですが、後に
松平元康→徳川家康となるのです
今川義元の一字を与えられ、松平次郎三郎元信と名乗ったのです。
雪齋は、松平元信を大層可愛がったと言います
元信の才能を見抜いていたのでしょうね。
その元信に雪齋が残した言葉が伝わっているのです。
「肩の荷は重いほどよい。皆のために、竹千代殿には出来る
お人だ」と云うのです。
家康が言ったという「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆく
がごとし…」と何となく似ていると思いませんか
と云うよりその物ズバリですよね。
尤も、この一説は後に作られた様ですが…
その雪齋もこの和議の後亡くなるとは、義元もつくづく運が
無い武将です。
雪齋が徳川家康の懐刀『天海』の様に長寿だったとすれば
今川幕府が出来ていた可能性もあったのです
人の運命とはつくづく分からないものですね
歴史に『もしも』は無いと言いますが、寿命も天下取りの
重要なファクターの様です。
おそらく、今川幕府が出来ても秦の始皇帝のように、二代目
で崩壊したとは思いますが…
幕府が長く続くには二代目が肝心なのです。
氏真では国を動かす事は出来なかったでしょうね。
人を使う能力が有れば別でしょうが…
話は変わりますが、ドラマでは駒井らが起草したと云う事に
なつている『甲州法度之次第』ですが、読んでみると中々面
白いのです
●私有地は勝手に売ってはならない。
●裁判の最中に暴力行為をしたら敗訴。
●訴訟を信玄に直接提出してはならない。
●どんな理由があっても喧嘩両成敗で一方に加担した者も同罪。
●許可無く他国へ文章を送ってはならない。
●年貢の滞納は重罪。
●浄土宗と日蓮宗が争ってはならない。
●洪水で流れてきた材木は自分の物としても良いが
橋の材料だけは元の場所に戻すこと。
などなど、基本的には喧嘩両成敗の論理で治安を維持していた
様なのです
当時の裁判は、判決の後に不平不満が出ない様に占いやくじ引
きで神意を問うものだったらしいのです
武田家の支配地が広まれば広まるほど、こう云う分国法が必要
だったのですね。
各地に散らばる無秩序な勢力を支配下に入れる為、作ったとも
言えますが、法律によって一括して支配地を治める権力者の頂点
に立ったとも言えますよね
やはり由布姫にだけは逆らえない様です。
感情的に話す勘助と由布姫を見ていると、男女の係わり合い
が無くとも、相手を思いやれるのではと錯覚してしまいました
もしかすると、究極の愛の形かも知れませんが…
晴信も晴信で越後と木曽、どちらを先に攻めるか由布姫に
決めさせるとは何とも情けない
一国の当主と軍師がいるのに、側室に決めさせるなどあり
得ない話なのです
クジかサイコロで決めた方がまだ良いのでは…
由布姫に聞かなくとも越後を先に攻める事など出来る
訳がないのです。
その木曽を攻め入る最中に越後の毘沙門天が動き出しましたね。
流石、景虎です
それにしても200日の長退陣、双方疲労困憊だった筈です
そのまま退陣を続けていたのなら、武田・上杉両方の国許が
危うくなった筈です。
そこに登場した今川の雪齋
仲立ち出来るのは雪齋しかいなかったかも知れません
雪齋が倒れた時、同席していたのがご存知徳川家康ではないか!!
元信は元服して松平元信と名乗っていたのですが、後に
松平元康→徳川家康となるのです
今川義元の一字を与えられ、松平次郎三郎元信と名乗ったのです。
雪齋は、松平元信を大層可愛がったと言います
元信の才能を見抜いていたのでしょうね。
その元信に雪齋が残した言葉が伝わっているのです。
「肩の荷は重いほどよい。皆のために、竹千代殿には出来る
お人だ」と云うのです。
家康が言ったという「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆく
がごとし…」と何となく似ていると思いませんか
と云うよりその物ズバリですよね。
尤も、この一説は後に作られた様ですが…
その雪齋もこの和議の後亡くなるとは、義元もつくづく運が
無い武将です。
雪齋が徳川家康の懐刀『天海』の様に長寿だったとすれば
今川幕府が出来ていた可能性もあったのです
人の運命とはつくづく分からないものですね
歴史に『もしも』は無いと言いますが、寿命も天下取りの
重要なファクターの様です。
おそらく、今川幕府が出来ても秦の始皇帝のように、二代目
で崩壊したとは思いますが…
幕府が長く続くには二代目が肝心なのです。
氏真では国を動かす事は出来なかったでしょうね。
人を使う能力が有れば別でしょうが…
話は変わりますが、ドラマでは駒井らが起草したと云う事に
なつている『甲州法度之次第』ですが、読んでみると中々面
白いのです
●私有地は勝手に売ってはならない。
●裁判の最中に暴力行為をしたら敗訴。
●訴訟を信玄に直接提出してはならない。
●どんな理由があっても喧嘩両成敗で一方に加担した者も同罪。
●許可無く他国へ文章を送ってはならない。
●年貢の滞納は重罪。
●浄土宗と日蓮宗が争ってはならない。
●洪水で流れてきた材木は自分の物としても良いが
橋の材料だけは元の場所に戻すこと。
などなど、基本的には喧嘩両成敗の論理で治安を維持していた
様なのです
当時の裁判は、判決の後に不平不満が出ない様に占いやくじ引
きで神意を問うものだったらしいのです
武田家の支配地が広まれば広まるほど、こう云う分国法が必要
だったのですね。
各地に散らばる無秩序な勢力を支配下に入れる為、作ったとも
言えますが、法律によって一括して支配地を治める権力者の頂点
に立ったとも言えますよね
個人的にはこう云うコジツケ(失礼)は
大好きです。
真意の程は分かりませんが、家康が
信玄に尊敬の念を抱いていたのは
間違いないみたいですね。
光秀→天海説より数段面白いですね。
信玄の側室の根津御両人というのが
同一人物だという説で
駿府の東照宮は元は信玄の城だったところに
作られたとか
信玄と家康は観相学的にも親子の可能性が高い
東照宮には信玄を表す花菱の紋があるとか
家康が息子の武田の姓を名乗らせて復興させたとか
という事実があるらしいです。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery3/
信玄の法名は『徳栄軒信玄』と云うのですが
徳川が栄えるとも読めますよね。
その辺から来ている説なのでしょうか??
ブログいつも拝見しています。
勘助と由布姫についてですが
僕も全く同意見です。
メロドラマは見たくなかったのです。
脚本家の感性なのでしょうが…
話が反れますが、僕は天海は明智光秀
だったのではと思っているのです。
だとすれば、家光の乳母にお福がなったのも
うなずけると思いませんか??
ありますね。なんかテレビでやってました。
実際は駒井らが草案したのでないと
思っていますが、甲州法度は中々
面白いですね。
情状酌量は殆ど無かったようです。
前回の「甲斐が無駄に越後と費やした12年」もハタと膝を打つような内容だったのですが、レビューと称して陥りがちな、あらすじをなぞるのではなく別視点があるホントのレビューは少ないのでいつも更新楽しみにしております。
雪斎が人質時代の徳川家康に大きな影響を与えていたというのは今回初めて知りました。私も死んでゆく雪斎を見て天海のことを思い出しました。あのヒトは化け物ですけどもwww
それと、甲州法度、こう書き出して読んでみるとなかなかの力作だということがよくわかりました。改めてありがとうございます。
駒井らが、起草したというご法度よく調べられましたねー。
なかなかきめ細かく書かれているようで興味深いです。