函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、しぶとい信雄!!

2023-08-14 | 歴史

形式上戦勝祝いとして石川数正を秀吉に派遣

しましたね 

一国に値すると言われている天下の名品・初

花肩衝を手土産に… 

家康が数正に秀吉の人物像を問いただすと、

「何もかも芝居のようであり、何もかも心の

ままにも思える」との答え 

ようは掴み処の無い人物だと言う事なのでし

ょうか? 

感情を押し殺した不気味さすら感じます

家康も秀吉の人物像を解説していましたね。 

欲に果てがないことだ。何もかもを欲しがり、

持てる力の全てを使って手に入れようとする

そんな秀吉の次の獲物が石川数正なのでしょ

うか? 

 

いよいよ小牧長久手の戦いです 

後の小田原征伐と違い、この時点で秀吉に服

従しない大名もいました

長期戦ともなると士気も下がりますが、兵糧

の心配も出てきます

ましてや野戦ともなれば家康に一日の長があ

りますよね 

そう考えると、兵数では劣っていても全く無

謀な戦いとまでは言いき切れません 

ましてや信雄を旗印としているので、長期戦

ともなれば勝機も出て来ます 

しかし、もし秀吉を討ち取ったとしても、家

康がすんなり天下人となる訳でもなさそうで

 

実力者としての家康の存在感は上がりますが、

天下人として全国に号令するのにはまだまだ

紆余曲折がありそうですし、虎視眈々と次を

狙っている武将もいます。 

そう考えると、家康は秀吉と全面戦争をする

つもりはなかったのかも知れませんね 

局地戦で勝利し、少しでも有利な条件での和

睦を望んでいたのではないのでしょうか? 

東郷平八郎が、日本海海戦でバルチック艦隊

を破り勝利したのと同じ構図に思えてなりま

せん

 

ところで、信長の次男・信雄ですが… 

信長の後継者として認知もされず、秀吉と家

康に翻弄された生涯を送ります 

信長から絶縁されたり、小田原征伐の後、家

康の旧領への移封を拒否したり、二度の改易

を経て五万石の大名として長らえる事になり

ます 

なんともしぶとい人生を歩んだ信雄ですが、

京都で生涯を閉じた時七十三歳だったと言わ

れています。 

天寿を全うした訳ですね

どちらかと言うと愚将として有名な信雄です

が、織田の血を現代まで残したのは間違いな

く信雄です 

絶縁や改易を二度繰り返しても生き延びたの

ですから、何とも語れない魅力があった人物

の様な気もします

信雄の一生を見ると、頂点を極めるだけが武

将ではない様にも思えている僕なのです

 

 

 


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