都では盗賊がはびこり瀬戸内の海では海賊が
その対策会議が行われますが、どの貴族も自分の事しか
考えていないようですね。
学者でもある高階通憲は『己の事しか考えぬ者たちによ
って政が行われておる。』と指摘します。
己の事しか考えぬ者達って今の政治家の事を言っている
のでしょうか?
一瞬、現代ドラマを見ているような錯覚を覚えます。
それにしても何と無能な政治家の多い事でしょうか??
もしかして太古の昔から面々と続いて来た日本人の風土
なのかも知れません
海賊騒動は何もこの時初めて起きた騒ぎではありません。
さかのぼる事200年前後、藤原摂関家の一族・藤原純友
が瀬戸内で反乱を起こしています。
又、ほぼ同時期に関東では平将門も(海賊ではありません)…
藤原氏や平氏だけではなく為義の父親義も九州や出雲など
で暴れていますね
純友は海賊の長となり国府を攻め略奪の限りを尽くし遂に
は大宰府までも…
純友軍は千艘の船を有しその勢力は一時畿内にまで及んだ
といわれています。
中央では出世の見込みがない貴族が地方に赴任し任期が切
れてもそのまま土着したり海賊の長となっていったようで
す。
政府の役人たる貴族達は伝聞による情報しかなく現実を把
握出来ない始末。
無政府状態もいいところですね
ところで
忠盛の弟・忠正ですが、かなりの野心家だったと僕は思っ
ています
ドラマでは平家の血を守ろうと時には棟梁の忠盛と衝突し
ますが、実際の忠正は清盛だけではなく忠盛とも不仲だっ
たようです。
忠盛と忠正は妹達を除けば男二人兄弟なので、もし忠盛に
何か有った場合必然的に忠正が平家の棟梁となる訳です
忠正は忠盛に替わって平家の棟梁になろうと考えていたと
しても不思議ありません。
鳥羽上皇に信を得て出世街道まっしぐらの忠盛ですが、忠
正も摂関家(頼長)の家人となり昇殿を許される身分となり
ます。
忠正は平家ではなく源氏と同じ道を選んだ事になりますね。
ここまでは政治家としての忠正の生き方なので文句のつけ
ようが無いのですが、その後がいけません
保元の乱で敗れた忠正はよりによって清盛に命乞い。
清盛は助けようとしたようですが結局徒労に終わります。
当時の武士としては潔さの欠片もありませんね。
忠正の子孫は伊賀に土着し服部の姓を名乗ったと伝えられ
ています。
もしかして徳川家康の寵臣・服部半蔵正成は忠正の子孫か
も知れません
そうだとすれば数百年の時を経て子孫が表舞台に復活した
事になります。
あくまでも権力者の側近としてですが…
忠正も服部正成のように側近として№2の道を究めれば歴史
に名を成す武将になっていたのかも知れません