函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、究極の女性!!

2012-02-14 | Weblog

東へ向かった源義朝と西へ向かった平清盛、東国の源氏、西国の平氏

として中央での覇権を得るためいよいよ動き始めたようです

義朝が東国へ行ったのは事実のようですが、清盛と父・忠盛が海

賊征伐に行ったというのは考え辛いですね

おそらく名代として誰かを派遣し在地の平家武士を使い海賊討伐

をしたのではないでしょうか

忠盛父子が海賊退治をしたという方がドラマとしては面白と思い

ますが…

 

ところで

宮中一の美女・藤原璋子ですが…

 

最初は子供がいなかった祇園女御の養女となりその後白河法王の

養女となります。

白河法王と祇園女御にはたいそう可愛がられ何不自由のない幼少

期を送ったそうです

養父となった白河法王、最初は子供として溺愛していたようです

が、成長し絶世の美女となると女好きの法王が黙っている筈もな

く…

 

流石にいつまでも手元に置く事も拙いと考えた法王は藤原忠通と

の婚儀を持ちだします。

ところが忠通の父・忠実が大反対

ふしだら女を息子の嫁には出来ないと言うのが表向きの理由のよ

うですが真意の程は定かではありません。

結局この婚儀は破断

時の権力者白河法王の意思に背いたのですが、当時の藤原摂関家

にはまだ力が有ったと言う事でしょうか??

 

その後、自分の孫である鳥羽天皇に入内させるのですが、5男2

女の子供をもうけています。

当時としても一人の女性が7人もの子供をもうけるとは異例の事

かも知れません

それほど鳥羽院は璋子に対して深い愛情があったのでしょうね

璋子の長男が崇徳天皇でドラマでは白河法王との不義の子供とし

て描かれていますが、確たる話ではなさそうです。

鳥羽上皇が崇徳帝を嫌っていた節は多々ありますが、現代のよう

な親子関係を基準として測れないものがありますね。

白河院や西行との密通説もありますが、どれも確証のある話では

なさそうです。

 

幼くして白河院と祇園女御に育てられた為でしょうか?璋子は

を妬んだり恨んだりする感情が全く無かったのかも知れません。

もしかして好きと言う感情も…

自分に好意を持ってくれる人に異を唱える事が出来ない性格だっ

たのかも??

世の中にそんな人間がいるとは思われないかも知れませんが、

子はそういう人物ではなかったかと僕は思っています。

 

44歳で亡くなった璋子ですが、得子を寵愛していた鳥羽法皇です

ら深い悲しみにから抜け切らなかったと言われています

 

ただ美しいだけではなく、物言い、表情、仕種、どれをとっても

男を引き寄せてやまないものがあったのでしょうね。

究極の女性といっても過言ではありません。

一度でいいから会ってみたい女性ですね

 

 

コメント
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