函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

龍馬伝、酔えば勤皇、覚めれば佐幕!!

2010-05-10 | 歴史
5月10日、ひたすら攘夷決行の命令を待つ半平太
はなから命令を出す気の無い容堂を信じ切っている姿が何とも
哀れに思えてなりません
新しい日本を作る為には上士も下士も無いと思っている龍馬に
比べ、下士である自分の身分を越えられない半平太が小さく見
えて仕方がないのです

もし日本全国で攘夷がなされていれば今までやってきた事に正
統性も生まれるのですが、彼の思うようには世の中は動きませ

攘夷が実行されないのですから土佐勤皇党の存在意義もなくな
るのです。
容堂による勤皇党粛清が行われなくても勤皇党は自然消滅した
のではないでしょうか

やたら人材を失わせる行動をとった容堂ですが、僕には愚かな
藩主のように思えてなりません

ところで
幕末の四賢候の一人とまで言われていた容堂ですが、幕末の志
士からは「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄されていたらし
いのです
酔えば声も大きく罵声を浴びせたりしたといいますから、少し
アル中気味だったのかも知れませんね
時流に乗るのだけは上手かったのかも知れませんが、朝廷にも
幕府にも好かれる行動をとった容堂、幕末の政局を混乱させた
一人だったのではと僕は思っています
薩摩の西郷隆盛にも『単純な佐幕派のほうがはるかに始末がい
い』とまで言われているのですから始末に負えません
武市半平太が翻弄されたのも仕方のない事なのかも知れません


時には攘夷、時には佐幕、公武合体を推し進めたり攘夷の旗頭
勤皇党を粛清したりとやり放題
そんな容堂ですが倒幕へと傾いた時代だけは止めることは出来
なかったようです

維新後の政府では薩摩・長州に主導権を握られた事をたいそう
悔やんでいたとも伝えられていますが、その原因が武市半平太
を殺してしまったためだと思い込み半平太を切腹させた事を後
悔していたようです
後悔先に立たずですが、半平太にとっては唯一の救いではない
でしょうか




コメント
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