函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

尼将軍と呼ばれたお船!!

2009-04-20 | 歴史
せっかくの勝ち戦なのに景勝も兼続も暗~い顔で
したね

景勝からの家老就任要請を拒否した兼続ですが、今
回の戦の全責任を取ろうというのでしょうか??

『この戦を起こしたのはそちではない、わしじゃ』
『この戦の罪を背負うのはわしなのじゃ』
その通り!!
流石、上杉の当主・景勝ですね。
部下が何を言おうと最後に決断するのはヘッドしか
いないのです。
そう言う意味では兼続の発言はおこがましい限りで
すね

それはそうと、信綱があっけなく亡くなりましたね
もう少し詳しく描いて欲しいと思ったのは僕だけで
しょうか
前半の山場だと思っていたのですが…
何かチグハグな感じがしますね~

ところで、兼続の妻・お船ですが、ドラマでは信綱
と結婚してからも兼続に対して思いを募らせていた
かの様に描かれていますが、実際にはそんな事はな
かった筈です
あくまでも直江信綱が刃傷沙汰に巻き込まれ亡くな
ったので直江の家名を惜しんだ景勝が兼続に婿養子
という形で直江家を継がせただけの事だと僕は思っ
ています

お船は81歳まで生きたと言われていますが、当時と
してはかなり長寿の部類に入るでしょうね。

兼続は生涯側室を持たなかった事でも有名ですが、
そのせいか夫婦仲はすこぶる良かった様です
兼続ほどの武将が側室も持たないなんて当時として
はかなり稀有な存在だったでしょうね

景勝の正室・お菊との関係も上手くいっていたとい
いますから、ある意味、人に好かれる性格だったの
でしょうか??

景勝の側室が嫡男を産むのですが、養育を任された
のもお船だったのです
景勝の信頼もかなりのものだったのでしょうね

兼続が亡くなると、藩からお船へ3000石が与えられ
たというのです!!
驚きですよね

石高の1㌫を家臣の奥方に与えた事ひとつとっても上
杉家にとってお船は重要人物の一人だったのに間違
いありません。

景勝の後を継いだ定勝ですがお船を母の様に慕った
といいます。
実母が亡くなり乳母に近い役割をお船が果たしたの
ですから仕方無いところです。
まるで徳川家光の乳母・春日の局の様ですね

「大小の事は後室に相談するように」と定勝は家臣
に言っていたというのですが、後室とはお船の事な
のです。
後室の本来意味は、高貴な人の未亡人といったとこ
ろでしょうか

お船は定勝の計らいで藩政にも深く関わっていた様
です
家臣からは鎌倉幕府の尼将軍・北条政子にも例えら
れたほどです。
ある意味、景勝の後の上杉の藩政を担ったのはお船
だったのかも知れません
そういう意味では尼将軍と言われても仕方ありませ
んね。

何れにしても景勝→定勝の上杉2代の当主に信頼さ
れていたお船。
兼続亡き後、兼続に代わって立派に上杉の家老を務
めたと言っても過言ではありません



サポグラ 4月号 のCMです







コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする