函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

篤姫の送別会!!

2008-03-24 | 歴史
いよいよ篤姫の送別会ですね
実の父母の前ですら家臣に対する振る舞いと
同じくしなければならないのです。
篤姫にとっては何より辛かった筈です。
それと共に、養女に入った現実をこの日ほど
感じたことはなかったでしょうね
流石に、肝付尚五郎の前では堪えきれません
それを見ていた斉彬の粋な計らいで、今和泉
の家族と一時を過ごせたのが何よりでしたね。
実際はあり得ない事でしょうが??
篤姫が、船上で桜島を見ながら『薩摩を思っ
て泣くのは、これが最後』と言った一言は実
に重い言葉ですね
もう薩摩には戻れない、いや戻らないと言っ
た覚悟を感じるのです
実際、篤姫が薩摩の地に足を踏み入れること
はなかったのですから。

初対面の忠教と篤姫でしたが、中々迫力があ
りました。
ソフトな語り口ですが、忠教が篤姫を認めた
瞬間でしょうね。
後に島津を背負って立つ忠教と、徳川の女に
なる篤姫、言ってみれば敵・味方に分かれる
運命なのです
薩摩の為・日本の為に将軍家に嫁ぐ篤姫
薩摩の為・日本の為に奔走する忠教(久光)
思いは同じはずなのにその後の二人の立場は
天と地ほどかけ離れたものになるのです。
世が世ならば、養女とはいえ仲の良い叔父、
姪の関係でいられたかも知れません
人の世の不可思議さを感じますよね。

ところで
忠教(久光)が起こした有名な生麦事件、久光
が『斬れ!!』と命令したとか?久光の籠の
近くまで乗り入れてしまったイギリス人を藩
士が斬りつけたとか?諸説ありますが、何れ
にしても一年後薩英戦争が勃発するのです
この戦争のお陰で攘夷が実行不可能な絵空事
だと薩摩藩は気付く訳です
そう云う意味では久光が起こした生麦事件は、
近代日本のきっかけを作った事件だったと言
えるのです。
斉彬が亡くなった後は実父・斉興が藩の実権
を握っていた様ですがその斉興も亡くなると、
いよいよ藩主・忠義の実父として久光が藩の
実験を握るのです
久光は兄・斉彬の意思を継ぐが如く行動する
のですが、母は違えど斉彬と久光は意志の通
じ合った兄弟だったと僕は思っています
久光にとって斉彬は尊敬に値する人間だった
のでは…
斉彬が蘭学に興味を示した様に、久光は国学
に大変興味を示した様です。
間違いなく凡庸な武将ではなかったのです。
それどころか、中々の人物だったと僕は思っ
ています。
そうでなければ斉彬亡き後の動乱期において
薩摩と日本をリードする事など出来る筈があ
りません
幕末の動乱期に斉彬・久光の傑物が二代続い
た事が、薩摩藩のみならず近代日本を作った
と言っても過言ではありません。
斉彬も久光も時代が求めた人物だったのでし
ょうね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする