気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

ウイスキー

2009-03-06 07:37:44 | Weblog
最近、女の子の間でウイスキーのハイボールが人気なのだそうだ。
今から半世紀前、ちょうど私が社会人となった頃、酒を飲むといえばウイスキーが主流であった。ストレートで飲む者もいたが、殆どは炭酸で割った“ハイボール”であった。
当時の1瓶の値段は、1番安い「トリス」が300円位、「白」が700円程度、その上の「角」は1200円位だった。更にその上は、今の人にとっては“安い!”と見られている「オールド」であったが、そんな物は自分たちには手の届かない高級品であった。飲んでいたのは、1杯30円のトリスのストレートかそれで作ったハイボール。時々気取った男が来て、「僕には“白”で作って!」などと言うような時代であった。
当時は1ドル=360円の時代であり、スコッチのジョニ赤・黒は5,000円、10,000円以上もした。1962年に発売されたスーパーニッカでさえ3,000円という高価格であった。大学出の初任給が10,000円台後半であったから、それらは主として贈答用であった。最近、ウイスキーもリニューアルされている。今、当時のウイスキーを飲んだらどんな味がするのだろう?

小沢一郎の釈明

2009-03-05 06:05:59 | Weblog
この度民主党の小沢一郎代表が違法献金の疑惑で釈明会見を行った。
献金に関しては、何年か前から制度が変わり、一定の要件を満たした政党には、我々の納めた貴重な税金から政党交付金が支給されるようになった。その代り、政治家個人は企業からの献金を受け取ってはならないと決まったのである。
今回の疑惑は、西松建設が違法な操作を行い、小沢一郎に多額の献金を行ったという事件である。彼の過去の行動を考えれば充分に考えられることである。彼の的外れの弁解を聞いていても、疑惑が晴れるどころか彼のしたたかさを感じるだけである。
情報によれば、西松建設関係の人間は既に自供しているようであるし、小沢側から金を請求したとのニュースも入ってきている。悪あがきをせず、もっと潔くできなかったのだろうか? 
「私の不注意により、国民の皆様、また日本の未来を考えている多くの民主党々員の皆さまに大変ご迷惑をお掛けいたしました。これを機に政界から引退致します」と素直に謝れないのだろうか? そうすれば、彼・民主党・政治家に対する評価が少しは変わると思うのだが・・・。

「地球“高温”化」

2009-03-03 07:26:31 | Weblog
先日、わが街:埼玉県川口市では、4月から『地球温暖化』を『地球高温化』と言い換えることを独自に決定した。
『地球温暖化』という表現では環境被害の深刻さを的確に表していない。市民の意識を啓発する意味からも相応しくない。この表現に疑問を感じた岡村幸四郎市長の意向に沿ってこの決定は為された。4月の組織改正で、環境総務課に“地球高温化対策係”を設けるそうである。
市長は、既に環境省へ呼称変更を申し入れてあるそうだ。勿論、国が簡単にそうした意見を受け入れないであろうとは予想していたようである。案の定、環境省は今回の決定に対し「(自治体独自の言い換えは)聞いたことがない」と冷やかなコメントを出している。
確かに、「温暖」という言葉では“過ごし易い”という印象を与え危機感が伝わらない。このニュースを知った、北は北海道から南は九州までの日本各地から、賛意を表した膨大なメールやFAXが届いているそうである。市長の論理は正しい! 後期高齢者を“高貴香麗者”と呼ぶのとは訳が違う。国が面子に拘らず川口市の提案を素直に受け入れれば、国民の国を見る目も変わると思うのだが・・・。

原信夫とシャープス&フラッツ

2009-03-01 07:44:08 | Weblog
若い人の中にはこの名前を知らぬ人もいるであろうが、このバンドは現存する世界のジャズバンドの中で最も歴史があり、半世紀以上にも亘り活躍している。通常は自分のバンドを連れてくる“世界の一流歌手”も、来日する場合は彼のバンドを信頼して身一つで来たようだ。
彼は海軍軍楽隊に入団、戦終後は横浜のキャバレー専属のバンドに参加、その後バンドリーダーとなり活動場所を東京品川の在日米軍のクラブへ移し、それを機に現在のバンド名に改めた。
1955年には人気歌手江利チエミの要望で大劇場での伴奏を体験し、全国巡業にも同行するようになった。1963年から12年間NHK紅白歌合戦の演奏を担当している。その間、1967年には日本のバンドとして初めて「ニューポート・ジャズ・フエステイバル」に出演し大成功を収めた。
同じ年に、江利チエミの紹介で知り合った美空ひばりの「20周年コンサート」でも共演している。彼女がブルー・コメッッと歌った「真っ赤な太陽」は彼の作曲である。
1998年に勲四等旭日小綬章を受賞した彼は今年で82歳になるが、7月の引退を前に全国ツアーに励んでいる。