田中角栄は「今太閤」とも呼ばれ、立志伝中の人だ。だがその裏にはそれなりのことがあったであろう。当時、田中角栄の金脈と人脈について暴いた作家がいた。世間には“立花隆”の名が記憶に残っているようだが、“児玉隆也”の「淋しき越山会の女王」が 田中首相の退陣のキッカケをつくったと思う。田中の資金管理団体であった「越山会」を牛耳っていたのが佐藤昭という女性で、その女性と田中との関係も詳しく記されている。
その「淋しき越山会の女王」に収録されていたのが、同じく彼が記した「ガン病棟の九十九日」であった。有能なノンフィクション作家であった彼は、その完成後38歳でこの世を去った。
ガン病棟の記述中に、――若い患者を看病する若い妻が、何時も綺麗に化粧をし毎日衣装を替えている。周囲からは「ホテルにでも来ているつもりか!」と顰蹙を買っていたが、後にそれは姑の差し金で、死んで行く息子にやつれた嫁を見せたくないためだったと判る場面がある。だが若い患者である夫は、そんな美しい妻を毎日見ていたら、未練が残り死んでも死に切れないと思うのだが・・・
その「淋しき越山会の女王」に収録されていたのが、同じく彼が記した「ガン病棟の九十九日」であった。有能なノンフィクション作家であった彼は、その完成後38歳でこの世を去った。
ガン病棟の記述中に、――若い患者を看病する若い妻が、何時も綺麗に化粧をし毎日衣装を替えている。周囲からは「ホテルにでも来ているつもりか!」と顰蹙を買っていたが、後にそれは姑の差し金で、死んで行く息子にやつれた嫁を見せたくないためだったと判る場面がある。だが若い患者である夫は、そんな美しい妻を毎日見ていたら、未練が残り死んでも死に切れないと思うのだが・・・