気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

榎本武揚

2008-10-02 05:49:21 | Weblog
徳川幕府の大政奉還後、新政府軍の徳川家に対する処遇に反発した榎本武揚は、抗戦派の旧幕臣と共に旧幕府艦隊を率いて北海道に脱出する。新選組や奥羽越列藩同盟軍、桑名藩藩主らをまとめ、箱館の五稜郭に“蝦夷島政府”を設立した。この政府は榎本の国際法の知識により、外国からは独立国として認められたようである。しかし、戦費の枯渇、相次ぐ自軍兵士の逃亡、箱館湾海戦による全軍艦喪失など劣勢は決定的となり降伏した。その彼が没して今年で100年になる。
彼はジョン万次郎の私塾で英語を学び、長崎海軍伝習所で国際情勢・蘭学・航海術・化学などを学び、オランダ留学で国際法・軍事知識・造船・船舶に関する知識も身につけていた。
蝦夷征討軍海軍参謀黒田清隆は、敵将榎本の非凡な才能を惜しみ、各方面に助命を説得し、その結果一命を取りとめたそうだ。本人も“生きて国のために”と考えたようである。太平洋戦争の敗戦で水泡に帰したが、彼は将来の領海問題を見越し「樺太千島交換条約」も締結している。
作家の佐々木譲は、「彼を“日本の歴史上、魅力ある人物ベストテン”に入らせたい」と語っている。