相田みつをの長男であり相田美術館の館長でもある相田一人氏が書いていた。
『父の書は、ちょっと見ると何も考えずに無造作に書いてあるような感じがします。まるで幼い子どもが書いたように。しかし、それは表向きのことで、本当は全く違うのです』と。
そして、『自分はプロの書家だから、書こうと思えば当然こういうもの(いわゆる達筆といわれる書)も書ける。だが、どんなに上手い字を書いても、上手いなあと感心はしてくれても、いいなあ、素晴らしいなあと感動はしてくれない。技術だけでは人を感動させることは出来ない。だから自分は、若い頃から技術だけで勝負しようとは思わなかった』との父親の言葉も紹介していた。
相田みつをが23才の時に臨書で見事一席になり、その後は毎日書道展を中心にいくつものコンクールで好成績を収め、日展の審査員にもなるであろうと評価されていたことは、以前私も紹介している。
彼は読む人の心に訴えるために、漢字・ひらがな・カタカナの使い方、文字の大きさを考慮し、ときには「アノネ」で書き始める工夫もし、何年にも亘り同じ文章を書き直している。そうしたことを理解して眺めると、また新しいことが見えてくる。
『父の書は、ちょっと見ると何も考えずに無造作に書いてあるような感じがします。まるで幼い子どもが書いたように。しかし、それは表向きのことで、本当は全く違うのです』と。
そして、『自分はプロの書家だから、書こうと思えば当然こういうもの(いわゆる達筆といわれる書)も書ける。だが、どんなに上手い字を書いても、上手いなあと感心はしてくれても、いいなあ、素晴らしいなあと感動はしてくれない。技術だけでは人を感動させることは出来ない。だから自分は、若い頃から技術だけで勝負しようとは思わなかった』との父親の言葉も紹介していた。
相田みつをが23才の時に臨書で見事一席になり、その後は毎日書道展を中心にいくつものコンクールで好成績を収め、日展の審査員にもなるであろうと評価されていたことは、以前私も紹介している。
彼は読む人の心に訴えるために、漢字・ひらがな・カタカナの使い方、文字の大きさを考慮し、ときには「アノネ」で書き始める工夫もし、何年にも亘り同じ文章を書き直している。そうしたことを理解して眺めると、また新しいことが見えてくる。