1953年のボストンマラソンで優勝した山田敬蔵氏の話を聞いた。
氏は1927年生まれだそうだから今年で80歳になるが、いまだに招待選手としてボストンマラソンに参加しているというから驚く。
勿論、記録は2時間台から3時間台、そして最近は4時間を僅かながらオーバーするようになったが、生涯走り続けるそうだ。
1951年から「東日本縦断駅伝競走大会」(青森-東京駅伝)が行なわれていたが、あるときこの大会に、秋田チームの1員として出場した山田選手を間近に見て驚いた。小柄だということは聞いていたが、その身長は、標準である私の肩までしかないのだ。あれだけの体の何処にあれだけのスタミナがあるのか信じられなかった。
「体力・気力・努力」の言葉を残し、日本における「マラソンの父」と称されている金栗四三氏が生涯に25万kmを走ったそうで、「自分も金栗先生のように90歳過ぎまで生きて、一生のうちに35万kmを達成できるよう頑張っている」と語っていた。
“35万km”? “マラソン8千300回”分だ。常人の私には想像もつかぬ数字である。
氏は1927年生まれだそうだから今年で80歳になるが、いまだに招待選手としてボストンマラソンに参加しているというから驚く。
勿論、記録は2時間台から3時間台、そして最近は4時間を僅かながらオーバーするようになったが、生涯走り続けるそうだ。
1951年から「東日本縦断駅伝競走大会」(青森-東京駅伝)が行なわれていたが、あるときこの大会に、秋田チームの1員として出場した山田選手を間近に見て驚いた。小柄だということは聞いていたが、その身長は、標準である私の肩までしかないのだ。あれだけの体の何処にあれだけのスタミナがあるのか信じられなかった。
「体力・気力・努力」の言葉を残し、日本における「マラソンの父」と称されている金栗四三氏が生涯に25万kmを走ったそうで、「自分も金栗先生のように90歳過ぎまで生きて、一生のうちに35万kmを達成できるよう頑張っている」と語っていた。
“35万km”? “マラソン8千300回”分だ。常人の私には想像もつかぬ数字である。