石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 高島市今津町日置前 正覚寺宝塔

2008-05-12 22:44:18 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 高島市今津町日置前 正覚寺宝塔

旧今津町日置前、伊井地区のほぼ中央、集落内に曹洞宗正覚寺がある。01境内東側の一画に立派な石造宝塔が立っている。花崗岩製で現存高約170cm。角ばった自然石を基礎の四隅に敷くが当初からのものとは思えない。もしそうであれば積み直されている可能性がある。基礎側面は素面の東側を除き輪郭・格狭間で飾り、格狭間内には、西側に三茎蓮、南側、北側には開敷蓮花のレリーフを配してる。基礎側面は幅約76cmに対し高さ約46cmと比較的低い。09輪郭は全体として幅が狭いが、左右が上下より狭い。格狭間は輪郭内にいっぱいに概ね破綻のない整美な形状を見せる。輪郭、格狭間の彫りは深めだが、開敷蓮花は平らで張り出すタイプではない。素面の東側に刻銘があっても不思議ではないが、摩滅したものか判然としない。基礎上端にはいくつかのくぼみが並び、雨垂の痕とも思えず児戯によるものだろうか。塔身は軸部、框座、匂欄部付首部を一石で彫成する。軸部はやや裾すぼまりの円筒状で、素面。扉型などの表現は見あたらない。亀腹部の曲面はごく小さく、周回する框座を経て匂欄部に続く。匂欄部から径を減じて細めの首部につなげる。匂欄部、首部も素面。笠には三重の段形を有し、下2段が厚く、上の1段は軒口に沿って薄くしていることから、下2段は斗拱、上1段は垂木を意識した構造と思われる。07_2軒はさほど厚さを感じさせず、隅に向かう反りにも力強さが欠ける印象。隅降棟を断面凸状の突帯で表現するが、珍しく露盤下で連結しないように見える。四注には照りむくりがはっきり認められる。露盤は方形に高く削りだされている。相輪は伏鉢を残し欠損する。残された伏鉢の形状はドーム形でスムーズな曲線を描く。全体的に表面の風化が進み、軒の一端や、框座など細かい欠損もあって傷んだ印象は否めないが、主要部分は残り、元は8尺塔と思われる規模の大きさ、笠裏や格狭間など随所に優れた意匠表現を示す点など、湖西を代表する優れた宝塔のひとつに数えることができる。造立年代については、笠の形状、優れた部分と少し手抜きとも思われる部分の落差の大きいメリハリのきいた割り切った作風などから鎌倉末から南北朝初め頃、概ね14世紀前半も半ばに近い時期から14世紀中葉にかけての頃と思われる。

参考:滋賀県教育委員会編『滋賀県石造建造物調査報告書』 191ページ

   今津町史編纂委員会『今津町史』第4巻 479ページ

写真右:素面の基礎側面に刻銘があってもいいんですが・・・。写真下:わかりにくいですが植栽に隠れた三茎蓮です。・・・それにしてもやっぱ、宝塔っていいもんです、ハイ。


滋賀県 東近江市鈴町 吉善寺宝塔

2008-05-12 01:12:41 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 東近江市鈴町 吉善寺宝塔

集落東側にある吉禅寺の境内南隅、塀沿いの高い壇上に石造宝塔が置かれている。基礎の下に平らな切石を敷いているが、基礎とさして幅が変わらず、当初からのものかどうかは不明。07花崗岩製で総高約171cm、基礎は割合背が高く、幅約52cmに対して高さは約36cmを測る。各側面とも輪郭・格狭間入りで正面のみ格狭間内に大きく右に頭を向けた孔雀をレリーフする。孔雀文は近江式装飾文様の一種で、たいへん珍しく、全国で30足らずの例があるに過ぎないが、そのうち近江の例が約7割を超えるとされる。嘉元2年(1304年)銘の比都佐神社宝篋印塔に比べると彫りが扁平で表現もやや稚拙である。正面以外の格狭間内は素面。輪郭は左右が広く上下が狭い。塔身は軸部、框座、匂欄部付首部を一石で彫成する。軸部には上下に薄い突帯を鉢巻き状に回らせ、四方に扉型を陽刻する。やや胴張気味だがほとんど円筒状で、亀腹部分は狭く、框座の張り出しを少なくして幅広の匂欄部につなげ、続く純粋な首部はかなり低い。匂欄付首部は素面。正面扉型左右に2行にわたり「文保2年(1318年)戊午三月日/大願主一結衆」の刻銘がある。笠裏に一重の垂木型を刻みだし、軒口は分厚く隅に向かって力強い軒反を見せる。四注は若干照りむくりを示し、隅降棟を断面凸状の突帯で表現する。05左右の隅降棟が笠頂部の露盤下で連結する。笠全体の幅に対して軒口を厚くし過ぎたためか屋根の勾配面にあまり余裕がなく、傾斜も急になっている。相輪は九輪部5段目の上で折れたものを接いでいるが完存しており、下請花は複弁、上請花が小花付きの単弁で伏鉢、宝珠ともに曲線に少し硬さがある。九輪の凹凸は沈線に近い。細部は丁寧な造作が見て取れるが、退化傾向が現れており、塔身が寸胴で、軒口が厚過ぎ伸びやかさが足りない印象で、背の高い基礎も合わさって全体に安定感に欠ける。しかし風化が少ない表面の保存状態は良好で、各部完存している点は貴重。特に孔雀文の基準年代と一結衆による造立が知られる刻銘がこの石造宝塔の価値を一層高めている。

参考:蒲生町史編纂委員会『蒲生町史』第3巻 382~383ページ

近江の宝塔のうちではどちらかというと不細工な部類ですが、見るほどに独特の持ち味のあるフォルムです。市指定文化財。旧蒲生町鈴、以前は集落中央、狭い路地に囲まれた場所に吉善寺があり、ブロック塀風の塀に囲まれた狭い境内墓地の南隅の一段高い壇上に宝塔がありました。数年ぶりに訪ねたところ、宝塔はおろかお寺ごときれいさっぱりなくなって景観は一変、旧寺地を示す石柱を残して真新しい公民館になっていました。一瞬愕然としましたが、ごく最近お寺は集落東側に移転し、宝塔も無事移転されたようで安心しました。