石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 大津市北小松 樹下神社の石造美術(その2)

2008-05-05 19:11:22 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 大津市北小松 樹下神社の石造美術(その2)

樹下神社というのは、日吉大社の摂社の一つで、祭神は鴨玉依姫命。十禅師とも呼ばれ、地蔵菩薩を本地とし、法華経を守護する神とされる。日吉大社の勢力範囲に多く勧請され、湖西を中心に同名の神社がたくさんある。北小松の樹下神社の南北に並んだ社殿の左手、すぐ裏側に立派な石造宝塔2基が並んで立っている。69_2自然石を並べて長方形の低い土壇状に整形した中に、直接地面に据えられており、ともに花崗岩製。便宜上、向かって右手を北塔、左手を南塔と呼ぶ。北塔は、笠頂までの高さ約136cm、基礎側面の四面ともに輪郭、格狭間で飾り、正面東側に開敷蓮花を、残る3面は三茎蓮花のレリーフを配している。開敷蓮花は蓮弁の表現が直線的でややデフォルメされたものを格狭間に比して非常に大きく刻んでいる。三茎蓮は各面とも少しづつ意匠を変え、西側背面と東側は中央茎部がまっすぐ立ち上がらない左右非対称なものとする。輪郭は左右が広く、上下が狭い。格狭間は側辺の曲線は豊かだが、やや肩が下がって花頭部分のカプスの尖りが目立つ。基礎幅約71cm、高さ約44.5cm、高すぎず低すぎずといったところ。塔身は、首部と軸部の間に厚さ約5㎝程の框座をめぐらせた一石彫成のもので、軸部は円筒状で四方に扉型を帯状に薄く陽刻する。78このうち正面のみは水平方向に桟を入れ「田」字を呈する。首部は素面でやや細い印象。笠は裏に2段の斗拱部を比較的厚めに刻みだし、軒口はそれほど厚くはないが軒反りは力強い。笠裏の斗拱部を厚めにとったせいで斗拱部を除く屋根全体の高さが押さえられ、全体として緩い勾配になっているにもかかわらず、四隅先端の反り返りだけを急にしたため、躍動的というか軽快な感じを与える視覚効果がある。頂には比較的高く露盤を刻み出し笠全体を引き締めている。四柱には断面凸形の突帯で隅降棟を表現し、左右の突帯が露盤下で連結する。軒幅約58cm、相輪は亡失、近世のものと思われる番傘スタイルのものが載せられている。後補相輪の宝珠と九輪の一部を含む先端1/4程が折れて傍らに置かれている。断面が真新しいことからごく最近破損したようである。北塔は装飾的意匠が目立ち、格狭間の形態やデフォルメされた開敷蓮花、やや硬さのある軒反などから鎌倉後期でも末期に近い頃の造立と推定したい。相輪の亡失は惜しまれるが、規模も大きく、近江における典型的な石造宝塔の構造形式や意匠表現を備えながら、ややイレギュラーな塔身扉型や三茎蓮の意匠表現を取り入れて、なかなかおもしろい作風を示している。一方、南塔は相輪の先端を欠いて現高約192cm、基礎は幅約75cm、高さ約41cmとかなり低く、側面は四面とも素面。塔身は首部と軸部を一石彫成する。框座はない。首部、軸部とも素面で、軸部は、やや下すぼまりぎみの円筒形で、肩にあたる饅頭型部分の曲面はかなり狭く、急激に径を減じて首部に続く。72首部はやや全体に太めで高さもあり、下端が太く上にいくに従って細くなる。笠裏には垂木型を2重に刻みだし、軒口は厚く隅に向かって厚みを増しながら重厚な軒反りを見せる。左右の四注隅降棟が露盤下で連結する通有のスタイルだが、隅降棟の突帯は断面かまぼこ形に近く、明確な断面凸形にならず、削りだしはおおまかでシャープさに欠ける。頂部には低く露盤を表現する。相輪は九輪部の2段目と3段目の間で折れ、3段目から8段目までが傍らに置いてある。8段目以上は早く失われたらしく、既に昭和50年の田岡香逸氏の報文にも同様の記述がある。九輪の凸凹をハッキリ刻み、伏鉢は適度な半球形で下の請花は複弁、枘は笠頂部の枘穴とかっちりと合致し当初からのものと見てよい。各部素面で、首部と軸部からなる簡素な塔身、さらに、低い基礎と重厚な笠の軒反など古い要素が多く、隅降棟の垢抜けない感じは、退化傾向とするよりは発展途上と見るべきで、総じて鎌倉時代中期の終わりから後期初めごろの造立と推定したい。装飾的な北塔と対照的に、南塔は素朴で野趣溢れる佇まいを見せる。両塔とも原位置を保っているかどうかは怪しいところもあるが、法華経見塔品の教義を背景に造立されたとされる石造宝塔が、法華経を守護する鴨玉依姫命を祭る樹下神社の境内に保存されている点は示唆的である。ともあれ、社杜の木立を背景に、異なった個性の7尺塔2基が並ぶ姿は非常に印象深い。石造宝塔の魅力を改めて強く感じさせられる優れた作品といえる。

参考:川勝政太郎 「近江宝篋印塔の進展(五)」 『史迹と美術』362号

   田岡香逸 「近江湖西の石造美術(後)-勝安寺・鶴塚・樹下神社-」 『民俗文化』142号

   川勝政太郎 『近江 歴史と文化』 62~63ページ

   川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』121ページ

写真上:かっこいい宝塔の揃い踏み、写真中:装飾的な北塔、写真下:素朴で迫力のある南塔

※ 宝篋印塔&2基の宝塔と”ひと粒で三度おいしい”北小松樹下神社。神社周辺は比良山系に抱かれた湖沿いの明るい景観がマッチして、若葉の季節は特に風光明媚で実にいいところです。ぜひ一度、のんびりと訪れてみてください。本文中のサイズ数値は、コンベクスによる実地計測値なので多少の誤差があると思います。


滋賀県 大津市北小松 樹下神社の石造美術(その1)

2008-05-05 01:35:05 | 宝篋印塔

滋賀県 大津市北小松 樹下神社の石造美術(その1)

JR湖西線北小松駅の約200mほど南、樹下神社の社杜が見える。大津市との合併前は旧志賀町。境内東側を南北に走る国道161号から、鳥居を抜けて長い参道を西北西に進み、拝殿の南側、近世の石灯篭の脇に立派な宝篋印塔がある。02白っぽい良質の花崗岩製。自然石を方形に並べた上に長短の延石を組んだ二重の方形基壇を重ねた上に反花座を載せ、さらにその上に基礎を据えている。塔高約189cm、反花座を含めた高さ約207cm。基壇上段の西側上端中央に台形の穴が穿たれており、塔下に設けたスペースに火葬骨などを投入するための納入孔と思われる。反花座は隅弁を間弁にしない抑揚のある複弁タイプで、両隅弁の間に3枚の主弁と4枚の間弁(小花)を配する。各主弁の間を広くとり、小花は幅広で大きめにする。反花座は中央にヒビが入っているように見えるが、納入孔の存在も考慮すると恐らく当初から左右に2分されていたものと思われる。素面の側面は高めだが、反花の勾配は割合緩く、柔らかな曲面で構成され、シャープさに欠けるが温和な印象である。方形の基礎受座は低く、基礎側面までの奥行きがある。基礎は壇上積式で、西側の左右束部分に「文和5年(1356年)/三月日」の刻銘がある。各側面とも格狭間を入れ、中に開敷蓮花を配している。開敷蓮花はレリーフというよりもほとんど半肉彫で、側面の”ツラ”よりかなり張り出している。格狭間は脚部の立ち上がりが垂直に近く、肩が下がって、側線のカーブはふくらみ気味である。09地覆・葛から束、束から羽目、羽目から格狭間のそれぞれの彫りは深い。基礎上は抑揚のある反花式で隅を間弁としないのは反花座と同じ。左右の隅弁と主弁1枚、主弁左右の小花で構成され、主弁と隅弁の間を広くとり、大きめの小花を入れる意匠も反花座と同様であるが、台座のものよりも彫りにシャープさがある。反花上には方形の受座を刻み出し塔身を受ける。塔身は幅:高さが拮抗する直方体で、各側面に張り出しの大きい輪郭を施し、内を舟形背光を彫りくぼめて蓮華座上に坐す四仏を半肉彫している。川勝博士は薬師、弥勒、弥陀、釈迦の顕教四仏と推定されているが、田岡氏は単に四仏として尊格名には触れられていない。像容優れ、特に穏やかな表情が印象的である。笠は上6段下2段で、各段形は直角に近くかっちり彫成している。二弧輪郭付の隅飾は南東側が軒ごと破損し、南西隅飾も大半が欠損している。薄めの軒と区別し、かなり入って立ち上がり、直線的に外傾する。残る部分の隅飾内部には蓮華座上の月輪を平坦にレリーフしている。隅飾の輪郭は非常に狭い。田岡氏は33月輪内にアの種子があるとされるが、肉眼では摩滅のためかハッキリ確認できない。一方川勝博士は素面としている。相輪は下請花が複弁、上請花は副輪と小花付の単弁とし、九輪の凹凸のあるタイプだが彫りが浅く逓減も大きめである。伏鉢と下請花の間で折れたのをセメントで補修してあるほか、先端宝珠が上請花との間で折れ落ちて傍らに置いてある。さらに宝珠は縦方向に1/4程欠けている。宝珠は重心が高めで先端はやや尖り気味である。若干の欠損部分はあるものの、主要部分は概ね揃っている。軒や輪郭の幅が狭いためか、規模の割に迫力に欠けるが、よくまとまった優美で温雅な意匠表現と表面の風化の少ない白っぽい花崗岩の清らかな質感が、いつまでも立ち去り難い気分にさせてくれる優品である。反花座を持つ宝篋印塔は、近江では比較的珍しく、南北朝期の紀年銘も貴重。なお、拝殿の北側には、大きな水船がある。西側を除く三面の外縁部を2段に彫成し、下半は切り出し面のままで、下半を埋めていたものと思われる。内側底側面に貫通する水抜用の穴がある。銘はないが、風化の度合い、作風からみて中世に遡る古いものと見られる。石風呂の類かもしれない。

写真中:基礎上と台座の反花の様子、基壇上端の納入孔がわかりますでしょうか。束の紀年銘はちょっとわかりにくいですね。

※ 参考図書は(その2)に載せます。