田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

福寿草まつり その3

2017-03-26 18:13:21 | 

沼ノ平の駐車場に到着し、受付で「環境整備協力費」として300円を払ったら領収者と一緒に「福寿草まつり20周年記念」のクリアファイルをもらいました。
舗装された遊歩道を通って土手のあちこちに顔を出している可愛らしい福寿草の花達に再会の挨拶をしながら、小高い丘を登って行きました。
上の方に行くと周囲にはまだ雪がだいぶありました。
今年の残雪は例年になく多いようでした。
この雪の下にもこれから咲こうとしている花達がたくさん隠れているのです。
太陽の光を受けて黄金色に輝く一面の福寿草が見れなかったのは残念ですが、今年も春一番の幸福の花に会えてとてもうれしかったです。


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福寿草まつり その2

2017-03-26 14:57:26 | 
福寿草の群生地沼ノ平と同じ相川地区内に賢谷という集落があります。
そこは沼ノ平に行く道の途中なんですが、左側に銅像が立っており、「蓮沼門三先生生誕の地」と書かれた碑も見えます。

蓮沼門三さんは明治15(1882)年2月22日耶麻郡相川村(現・喜多方市山都町)に生まれて、三歳の頃母と共に大沢(現・喜多方市岩月町)の蓮沼家に入りました。
貧しいながらも勉学につとめ、独学で小学校尋常科準教員となりました。
そして東京府師範学校(現・東京学芸大学)に入学し、明治39年(1906)2月11日在学中に同志とともに修養団を創立しました。
一時小学校に勤めましたが渋沢栄一などの援助を受け、わが国青年運動の草分けといわれる修養団の主幹として70余年にわたり日本の社会教育の形成・発展に尽くしました。
昭和47年(1974)喜多方市名誉市民第1号に選ばれています。
昭和55年(1980)6月6日98歳で逝去、生涯を終えました。
銀杯一組を賜り、正四位に叙せられています。(喜多方市のHPより)

さて、この場所を過ぎればもうすぐ目的地の沼ノ平です。
お天気は相変わらず晴れたり曇ったりと目まぐるしく変化していますが、だんだん晴れている時間の方が長くなって来ているような気がします。

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福寿草まつり その1

2017-03-26 07:04:05 | 

喜多方市山都町の沼ノ平(ぬまのたいら)地区では今月19日(日)~来月中旬の予定で「第20回福寿草まつり」が開催されています。
沼ノ平は日本最大級の福寿草群生地で、5haに約100万株の福寿草が自生しています。
昨日は休日だったのでその福寿草を見に行きたいと思い、朝からお天気ばかり気にしていました。
予報では晴れだったのですが、実際には曇ったり晴れたりの繰り返しであまりぱっとしないお天気でした。
その上、時折小雪がちらついたりしていたので今日は行くのを諦めた方がいいかななんて思ったりもしました。
福寿草の花はお日様の光を充分に浴びないと綺麗に開いてはくれないからです。
とりあえず、午前中は喜多方市内のコインランドリーで1週間分の洗濯と乾燥を済ませました。
それが終わった後は行きつけの店「陽華楼」で早めの昼食にしました。
この日は風邪ぎみで体調がちょっと悪かったので体力をつけようと「ニンニク味噌ラーメン」と餃子を食べました。
元気が出たところで、晴れ間も見えて来たので福寿草見物へのドライブに出かけることにしました。


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