GW明け後の1週間は公私共にかつてないほど多忙な毎日を送っていました。
そのせいか、体調は正直イマイチであまり元気が出ません。
でも、それなりにがんばってますYO~♪
p|  ̄∀ ̄ |q ファイトッ!!
三ノ倉高原で一面の菜の花を観て癒された後で「日中線記念館」に寄りました。
それは赤い三角の屋根がとても印象的で可愛らしいヨーロッパ風な建物でした。
日本国有鉄道日中線は昭和11年に喜多方駅から北西に向かい熱塩駅までの11.6kmの区間(喜多方ー会津村松ー上三宮ー会津加納ー熱塩)が着工され、昭和13年に営業用路線として開通しました。
その後熱塩駅の北にある日中温泉を通って山形県米沢市まで路線を延長する計画もありましたが、太平洋戦争開戦のため中止となってしまいました。
昭和49年まで走っていた蒸気機関車は10月31日が最後の定期運行となりました。
昭和59年には国鉄再建法施行により特定地方交通線に指定された日中線は廃止されました。
現役当時から荒廃が始まっていた終点の熱塩駅の駅舎はその後綺麗に整備され、日中線記念館として保存されることとなりました。
仕事終わってからなるたけ早く休めると良いのですが。
blog拝見した限りだとストレス性の倦怠感と体力的な疲労感とどっちものような印象です。ちょっと心配ですね。お大事に。
会津方面から米沢って割りと近いんだなぁと先日大内宿にお伺いしたとき思いました。
お写真。青空と緑に生える赤い三角屋根が素敵ですね。
お疲れのご様子ですね。
あまり無理をなさらずご自愛くださいね。
案内板の説明によると、明治の頃から鉄道建設の運動を続けて、
やっと昭和になって開通した路線だとか・・・
廃線になった路線の場合、線路も駅舎も無くなってしまう所が殆どかと思いますが、
当時からの資料も保存され、駅舎を整備して公開している喜多方市や
教育委員会は素晴らしいですね~。
やっぱり、形あるもので残してあれば、後々の人にその昔たくさんの人が尽力して、
開通させた日中線があったことを、よりリアルに知って貰うことができますますもんね。
駅舎内部や汽車の内部など、私たちが見れば昔懐かしいたたずまいだし、
若い人が見れば、遠い昔の駅や汽車の貴重な知識を得ることができますよね。
知らなかったなあ~
山形まで行けてたら、また違った景色が
見れたのにね~
さくらの時期に、おっかあも
駅舎を見て来ました。
記念の切符も買いましたよ。
機関車の中にも、乗れて
懐かしい椅子に座って来ました(*^-^*)
いつもお仕事ご苦労様!
長い休みの後は、大変だと思います。
近いうちに、差し入れしますね~
ゆっくり休めると良いですね。
お気をつけて頑張ってくださいねm(__)m
歴史のある駅を保存するのは本当に大切な事ですね。
列車の座席を見ていると当時の人達の姿・・
大勢の人が座っているのが目に見えるような気がします。
こちらも素敵なところですね~
日常を忘れてしまいそうですね。
そこがいいですね~
行ってみたいです(^◇^)
体調の方は今はもう元通りに回復しています。
毎日の仕事はどんなに忙しくても終業時間までには
終えて帰れるのですが、帰宅してからは区の環境
保全会の役員としての業務が待っているのです。
主に会議のためのいろんな資料作成なんですが、
それが・・・複雑過ぎてなかなか大変なんですよ。
たしかに、ストレスは大きいかも知れません。
会津というか、喜多方と米沢ならかなり近いですよ。
旧駅舎の赤い三角屋根は一度見れば必ず記憶に
残ると思います。
先週1週間は区の環境保全会の方の業務が一段落
したので帰宅後はなるべくPCに向かわずひたすら
静養することに努めました。
そのせいかも知れませんが体調もほぼ元通りに
回復しています。
案内板では栃木県今市市と山形県米沢市を結ぶ
東北縦断鉄道「野岩羽線」構想に触れていますね。
その鉄道路線の内、会津若松市から今市市方面
(後に東京都浅草まで延長)は近年「会津鉄道」と
して開通しています。
廃線の後でも旧駅舎が残ったのはこの件に携わ
った方々の並々ならぬ努力の賜物じゃないかな
と思います。
日中線の線路の跡の一部区間はすでにご存知の
通りにしだれ桜の散歩道になっている訳ですが、
こちらの方も同様です。
ことがありますが、その際にウキペディアなどを参照
しました。
なので、最初から知っていた訳でありません。
今も日中線が存在していてしかも山形まで繋がって
いたとしたら・・・それも夢の又夢の話ですね。
そうそう、おっかあさんのコメント覚えてますよ。
たしか、女子会で日中線記念館の桜を観に行かれ
たんですよね。
記念切符の販売とかがあったんですか?
それは知りませんでした。
それは、鉄道ファンならずともうれしいことですね。
この間は差し入れありがとうございました。
美味しくいただきました。
いつもお世話になってばかりですみません。
毎日の仕事は休まずにちゃんと続けています。
ただ、あまりがんばり過ぎないよう・・・ちょっとだけ
ゆとりを持ってやっています。
旧熱塩駅が後々喜多方の文化遺産的存在になる
のは間違いないと思います。
列車の乗客・・・開通したばかりの頃はみなさん、
それぞれにどんな服装をされていたのか興味が
ありますね。
当時の車中の写真などが見れればいいのですが
・・・
ください。
当時としてはとても近代的な駅だったのでしょうが
今は素朴な田舎の駅そのものという雰囲気です。
たしかに、ここにしばらくいたら日常を忘れしまう
だろうと思います。