田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

11/22・いい夫婦の日

2008-11-22 22:30:20 | 日記・独り言

今日11月22日は語呂合わせで「いい夫婦の日」でした。
(詐欺容疑で逮捕・起訴され昨日保釈された小室哲哉氏と奥様のKEIKOさんの結婚記念日でもあります。)
いい夫婦の日には夫婦がお互いへの感謝の気持ちをいろんなカタチの”ありがとう”で伝えあうのです。
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3歳年上の妻との夫婦生活は一昨年の4月に妻がガンで亡くなるまでの20年間続きました。
僕たちが結婚する3年前のことです・・・
ある日、僕が勤めていた家具屋の向かいの呉服屋に超小柄でやや小太りのぽっちゃり美人(?)が入社してきました。
朝の掃除の時間帯に道路を挟んで顔を合わせた僕達二人はお互いに「初めまして」の挨拶を交わしました。
それが彼女との初めての出会いでした。
しかし、僕達はその後お互いのことをを意識することは一度もなく3年の月日が経過しました。
3年後の春先に僕の勤務先と彼女の勤務先の社員同士の懇親会があり、東山温泉に一泊した翌日にその内の若手ばかり数名が僕のアパートに寄ってお茶を飲んでいきました。
たまたま彼女もそのお客さんの内の一人でした。
それがきっかけで彼女が僕に興味を持ったらしく、彼女の方から交際を申し込んできたので付き合うようになり、休日のたびにデートを重ねました。
彼女のお日様のような明るさと優しく包み込んでくれるような笑顔に惹かれました。
その後あっと言う間に熱愛(?)状態になってしまい、やがて結婚を意識するようになりました。
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しかし、僕達の結婚にはある問題があったのです。
僕は亡くなった長兄の嫁と同居しながら毎日辛い思いをしている年老いた母を引き取って一緒に暮らしたいと考えていました。
彼女もそれには同意してくれました。
しかし、彼女は農家の長女でした。
彼女にはその家の長男である弟がいたのですが、彼は足が少しだけ不自由だったため、ご両親はできれば長女のために婿さんを迎えたいと考えていたようです。
夏には僕との交際を反対された彼女が僕のアパートにころがりこんで来て同棲するようになり、結婚を更に真剣に考えるようになりました。
その後、正式に結婚の申し込みをするために意を決して彼女の家に乗り込み、一所懸命誠意を込めながらご両親に自分の気持ちを話しました。
その結果意外とあっさり承諾を取り付けました。
すぐに話がまとまって秋には結婚式を挙げました。
その3ヵ月後に兄嫁と話し合って母を引き取り、一緒に生活しました。
妻は母の面倒をよく看てくれて、やれお花見だ、やれあやめまつりだ、やれ夏まつりだ、やれ菊まつりだ、やれ紅葉狩りだと事あるごとに母を誘い、三人で
いろんな所に出かけました。
母もそんなそんな妻を実の娘の様に可愛がりました。
妻と母はご近所でも評判の「仲良し嫁・姑」でした。
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やがて、僕に転機が訪れました。
僕は今の仕事(障がい者の自立のためのサポート)に転職するために20年間勤続した家具店を退職する決心をしました。
それを契機に僕が長年住み慣れた生まれ故郷会津若松市から彼女の実家があるこちらの町に引越しして来ました。
実は、その2年前に母が脳梗塞を患いその後認知症になって、病院と介護施設を半年くらいずつ行き来する生活を送るようになっていたのです。
妻は足しげく母の見舞いに通うようになりました。
彼女は母を車椅子に乗せて散歩に連れ出したり母の好きなじゃんけん遊びをしたりしてくれました。
母が長生きしてくれたのもこうした献身的な妻の存在があったお蔭だと思っています。
しかし、認知症を発症してから丁度7年後に母は肺炎が悪化して亡くなりました。
そして妻も・・・その翌年に、仲の良かった母の後を追いかけるように逝ってしまいました。
子宝にこそ恵まれませんでしたが、僕が夢に想い描いていた通りの幸せな夫婦生活でした。
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愛するきよっちさん、抱えきれないほど幸せをいっぱいくれてありがとう!
そして・・・姿は見えないけど、今でも僕のそばに寄り添っていてくれてありがとう!!
「僕達はいい夫婦でした」と僕は胸を張って言えますよ。


コメント (10)
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