「アキ工作社」の話から導き出される3つ目の教訓は、これからの事業経営者は、人々の多様な働き方を許容し、これを生かしながら、最大限、「生産性」を上げるよう、大胆な改革を進めていかなければならないということである。
「アキ工作社」では、総労働時間はそのままだが、週休3日制を導入して、今までより生産性を上げることができた。固定観念に囚われず、おそらくは女性の比率の高い従業員の家庭生活や、農作業、或いは地域活動参加に配慮した労働時間を設定したのだ。
今、日本は人手不足に見舞われている。アベノミクスによって雇用が増えたという側面もあるかもしれないが、何より、新卒の若者の数より、退職する高齢者の数の方が多いのだ。特に、地方で、そして、冨山氏の言う「ローカル産業」(サービス産業の分野)で、人手不足は深刻なのである。
そもそも、少子・高齢化、人口減の進んでいく日本にあって、経済力を維持し、さらに質の高い豊かな社会をつくっていくには、移民を大量に受け入れるか、そうでなければ高齢者と女性の労働参加率をどんどん高めるしか方法はない。そして、日本では、女性の労働参加率は極めて低いのである。
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東大や京大を出た、頭脳明晰で、やり手の女性は、今や男の中にいる程度の比率でいる。体力の衰えてきた部長さんや課長さんよりパワーのある女性もいる。普通の男程度の女は、普通にいる。
かつて、職場の女性が子どもを産んで産休を取ったり、子育てのために育児時間を取ると、周りの男たちは顔をしかめて、「だから女はダメだ」と言ったものだ。
しかし、今や、あのユニクロの柳井氏が、産休を取得し、さらに育児のために時短勤務する女性も、有能な人は、子育てが終わったら昇進できる環境を整える、とした。また、グループの執行役員も、今、女性は1割だが、将来は5割以上にしたいと言った。
子どもを産み、育てることは、仕事の能力とは別のことだ。そもそも子どもを産み、育てることは、私的なことであると同時に、社会にとって必要欠くべからざることなのだ。
早い話、「だから女はダメだ」と言ったおじさんの退職後の年金を払うのは、次の世代である。次の世代がいなければ、年金の払い手はいない。子どもは、そのおじさんの未来にとって、欠かせない存在なのだ。
とにかく、少子・高齢化の日本社会では、アマテラスを拝むように、出産・育児の時期の女性を大切にしなければならない。
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もう一翼をになうのは高齢者。
今の日本人は、体力仕事を除けば、ふつう、70歳まで働けると思う。
ただし、仕事だけが人生ではない。まだ体力のあるうちに、仕事以外で、やってみたいことがある人もいるだろう。
私の場合、西欧の歴史・文化を知りたかった。知ってどうするわけでもないが、西欧を知ることによって、日本とは何かということを、或いは、日本人としての自分のアイデンティティをつかみたかったのかもしれない。
見聞を深めるための海外旅行をするには、それなりの体力・知力がいる。それを失ってからでは、おそい。オーナーからはもう少し働いてほしいと慰留されたが、固辞した。
もし、年間30日の年休を認めようという契約でもしてくれれば、給料はどうでもいい、私は、もう少し仕事を続けたろう。通常の年休+10日間である。30日あれば、年2回、ヨーロッパを旅することができる。そして、仕事は仕事で、やりがいがある。
P,F,ドラッカーは、「仕事オンリーでは、組織だけが人生であるために、組織にしがみつく。 空虚な世界へ移るという恐ろしい退職の日を延ばすために、若い人たちの成長の妨げとなってでも、自らを不可欠な存在にしようとする」と述べて、仕事オンリーの生き方に警告を与えている。
しかし、また、「人は皆同じように老いるのではない。エネルギッシュに働くことはできなくても、判断力に狂いがなく、20年前よりも優れた意思決定を行う人がいる」と言って、高齢者の処遇に配慮するよう、忠告を与えている。
私の場合、当時、仕事への「挑戦」の意欲はあったし、意思決定において深みを増している自分を感じてはいたが、仕事にキリをつけた。そのことを後悔はしていない。
その後の、もう一つの「挑戦」は、組織のためではなく、自分の満足を求めての人生の旅だったが、楽しかった。その旅も、関心が向かうところ、だんだんと、西欧が「従」に、日本が「主」になってきている。そして、ますます面白い。
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職場に、当たり前のように、出産、育児期の女性(或いは、その夫)がいる。
高齢者も働いている。
もしかしたら、優秀な頭脳をもった外国人も、日本の企業にやってきて働くかもしれない (いわゆる「移民」ではない)。彼等は、妻子を伴ってやってくるだろう。外国では、妻も自分を生かしたいと思って働く。その権利を保障することも必要だ。
職場は、単純・画一的ではなくなってくる。多様性を帯びてくる。
しかも、人手は足りない。
そうなると、「生涯雇用・定年制 ⇒ 年功序列賃金 ⇒ 長時間労働 (残業 / サービス残業 ) ⇒ 男社会」という、19、20世紀型の働き方は崩れてくる。
8時間労働の人以外に、6時間労働の人、職種によっては夜勤の人、週休2日の人、週休3日の人、産休休暇を取る人、高齢者研修休暇を取る人、さらに、時間に縛られず、採用労働制で働く人もいるかもしれない。
そうなると、それらを調整しながら、しかも、今まで以上の利益を生み出す、優れた事業経営者やマネージャーが必要になってくる。彼らの能力が、組織の命運をにぎるようになる。
それは、プロ野球の監督に似ていなくもない。
投手も、今では、先発、中継ぎ、抑えで構成される。さらに、それぞれの投手のカテゴリーの中に、能力の違いがあり、個性の違う選手がいる。
野手も、レギュラーと、レギュラーに故障あればいつでもこれに代わることができる厚い選手層が必要となる。さらに、チャンスに登場する勝負強い代打、確実にバンドし、或いは、一発で盗塁を決める選手、それに守備固めの選手もいる。外国人のホームランバッターもいる。
こうした選手を、重層的に抱えているチーム、言い換えれば、選手層の厚いチームが、長い1年間を戦い抜き、優勝する。
そういう多様な選手層の中心にいて、求心力となり、チームワークをつくり、彼等を使いこなす監督が、名監督になる。
現代野球とは、そういうものだ。
もちろん、企業戦士型の働き方、即ち、「⇒ 長時間労働 (残業 / サービス残業 ) ⇒ 男社会 」 は、もう古い。未だに、そういうやり方が「日本文化」だと主張する人がいるが、日本の長時間労働は世界のなかで突出しており、一方、1人当たりの労働生産性は、先進国の中で最低である。
疲れた男たちが、来る日も来る日も残業して、効率は悪く、家族そろって晩ご飯を食べることはほとんどなく、妻はいらいらし、子どもは不登校になり、そして、人口は減るばかりだ。世界はもっとスマートに、もっと先を行っている。
「 すべての人が、働き方を見直し、生産性を高め、ワーク・ライフ・バランス ( 仕事と生活の調和 ) を実現すべきだ 」 (2/7 讀賣・八代尚宏東京基督教大学教授)。
「アキ工作社」の週休3日制は、そういう試みの第一歩である。
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若きスキピオが、並み居るベテランの議員を前にして、ローマ元老院で行った演説は、歴史的に何かを変えようと志す人に、勇気を与える。
「私の考えでは、これまでに成功してきたことも、必要となれば変えなければならないということである。私は、今がその時であると考える」
今までやってきたことが間違いだったというのではない。
しかし、時の流れの中で、発想を変えなければならない時(節目)がある。
そのとき変えることができなければ、これまでは立派な会社と尊敬されていた企業も、評価の高かった大学や病院も、ローマのような覇権国家でさえも、衰亡に向かって転げ落ちていく。一度、落ち始めると、そのスピードは、現代になるほど、速い。
社会や組織が発想を変えられないのは、過去の成功体験が邪魔するからである。過去の成功体験を主張して、現状を守ろうとする既得権益集団の力が大きすぎて、彼らに改革をつぶされるのである。(完)
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ちょっと、書き尽くし感があります。それに、私も、多少は、やらなくてはいけない仕事もあり、よって、このブログの執筆は、しばらく途切れることになるでしょう。
でも、B型体質ですから、いつ復活するかはわかりません。どうかお見捨てなく、のんびりと待ちながらも、時折は開いて、確かめていただけたら、ありがたいです。