ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

日本統治時代の「記憶」を記述した台湾の教科書…友人Tさんからのメール

2015年03月26日 | 手紙

 前回、「しばらくブログをお休みすることになるでしょう」と書いたら、友人のTさんからメールをいただいた。一別以来の、最近のブログに対する心のこもった感想である。持つべきは友である。

 私は、西欧の歴史と文化を知りたくて、リタイア以来、わが興味・関心を充たさんと楽しんできた。しかし、所詮はアマチュアである。と言うのは、Tさんは実は西洋史が専門。Tさんと酒を酌み交わしながら、話がその方面に及ぶと、Tさんの口から何気なく出る言葉に思わず耳を傾けることがある。面白い。西欧への旅行歴は私の方がずっと多いのだが、きちんと勉強したことのある人は、やはり違うのである。

 さて、そのTさんのメールのなかに、私のブログ 「台湾の『記憶』、台湾の心…台湾映画 『海の向こうの甲子園』 を観て」 ( 3/12, エッセイ ) に触れて、次のようなことが書かれていた。以下、Tさんのメールの要約である。

                   ★

             

 10年ほど前のこと、あるメンバーで台湾旅行に行った。そのグルーブでは、旅行を有意義なものにするため、参加者一人一人が台湾に関することを何か事前に勉強してきて、旅行中に発表するということになっていた。

 それで、私も近所の国会図書館の出張所に出かけて、台湾に関する文献を調べた。すると、台湾で今、使われている小学校の教科書の日本語訳を見つけた。

 そのなかに、貴兄 (私のこと) がブログに書いていた八田與一と、彼が造った農業用の大ダムのこと、そこから引いた水路で台湾一の広大な耕作地が開かれたことが紹介されており、さらに、日本の植民地時代、台湾に近代的な制度が作られ、法治観念が育成されたことは、日本時代の恩恵であると書かれていた。

 私も驚いたが、発表すると、旅行メンバーも皆、大変驚いた。台湾が親日になるのは、こういう教育があるのだと思い、感動した。

 私たち日本人は、台湾に対して、もう少し思い入れをもってよいと思った。

 ( Tさんのメールには、もう一つ、エピソードが添えられていた )。

 その旅行中、宿泊したホテルに、財布を忘れてしまった。( 笑い: Tさん、昔、飲み屋で財布と一緒に大切な物を落として、始末書を書いたこともありましたよ )。

 しかし、財布は、次に泊まるホテルに届けられていた。ベッドメイクの係りの人が、見つけてくれたらしい。

 海外旅行で財布を落とすと、まず帰って来ないと聞くが、台湾は日本と似ていますね。

 ( これを読んだ後、台湾旅行に行かれる方は、気を緩めないでください。日本でも同じです。ホ テルに問い合わせ、ホテル側から「お部屋も探しましたが、ありませんでした」とか、「届いていません」と言われたら、どうしようもありません。)

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 Tさんのメールには、天安門事件のあった翌年の1990年に、中国に旅行し、天安門広場に行ったときの印象も書かれていた。

 前年、何万という学生や人民が自由を求めて広場を埋め尽くしていた。それを包囲するようにやってきた戦車が銃弾を浴びせた。

 広場に立つと、あの天安門事件の痕跡は跡形もなかった。全てがきれいに「消去」「削除」されていた。

 中国共産党にとって都合の悪いことは「削除」して、人民の目から隠し、反日・愛国宣伝に使える日本との戦争の傷跡は、かぎりなく「デフォルメ」して教える。それが彼らの「歴史」である。

 そういうことも、Tさんのメールには書かれていた。

                 ★

 「私たち日本人は、台湾に対して、もう少し思い入れをもってよいと思った」。

 本当にそうですね。かつて日本領として統治した(植民地にした)台湾が幸せになることに、私たちは多少とも責任があると思います。

 とても難しいことですが、今も表向きの国名である「中華民国」という呼称を捨てて、例えば「台湾」という国名で、いつの日か国連に復帰する日のあることを、私は心から願います。

 (短期間、お休みに入ります)

 

  

コメント
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