一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ありがとう八重山、しばしの別れ

2009-08-16 15:42:01 | 旅行記・沖縄編
15時05分黒島発の高速船で15時34分石垣港に着き、現在、港の中にあるネットセンターで、このブログを書いている。
6日の夜に東京を発ってから実質10日間、行程の序盤は台風に祟られたが、中盤以降は天気も持ち直し、楽しい旅をすることができた。
台風のおかげで、7日には、念願だった「大山郵便局」で貯金をすることができた。
9日、まさか石垣島で将棋のプロ棋士にお会いするとは思わなかった。ちびっこや奥さんとの「どうぶつしょうぎ」は楽しかったなあ。
10日、石垣島の北部にある明石から久宇良牧場をぶらぶら歩いて、石垣島の最北端から見た海の眺めは最高だったなあ。
鳩間島「民宿まるだい」のおじいとおばあは元気でよかった。宿で一緒だった男性は、このブログを見てくれてるかなあ。
小浜島では、レンタサイクルで島内を1周した。どこへ行っても自然がいっぱいで、心が洗われた。
黒島では仲本海岸で、おさかなに足首を噛まれて出血しちゃった。夜、公民館で行われた、中学生の琉球舞踊は見事だったよ。島の夜空は星が降るようで、とても綺麗だった。
川平湾の近くにある定食屋は、値段が安くて、量があって美味しかった。こういう、ガイドブックに載っていない食事処で美味しい食事にありつけると、トクした気分になる。
竹富島で食べたカキ氷は、氷がパウダースノーのようで、美味しかったなあ。
14日の白保と、15日の新川の豊年祭は勇壮だった。綱引きに使われた綱の一部は、記念にいただきました。
石垣では、毎日のようにネットカフェに入って、ブログを更新していた。店のおにいさんとも顔見知りになっちゃったなあ。「(店に来るのも)きょうが最後です」と言ったら、苦笑してたなあ。
そんな八重山諸島のみなさん、離島の自然、すべて温かかったなあ。
みんなみんな、いまから思えばいい思い出ばっかりだった。
毎年八重山諸島からの帰りは、さびしい気分が漂う。東京に帰りたくない、もっと八重山にいたいと思う。しかし今年はほんのちょっぴり違う。わずかながら、東京に帰りたい気持ちがあるのだ。それは、LPSAの女流棋士に将棋を教えていただきたくなったから…。
そろそろ時間だ。さ、これから石垣空港行きのバスに乗ります。
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お客様はいつも正しい。

2009-08-15 00:02:10 | 旅行記・沖縄編
今日は、きのう14日のとっておきの出来事を書こうと思ったのだが、別の機会に記す。どうしてもここにぶちまけたくなったことがあるので、というか、ついに我慢の限界になったので、書いてしまう。どうせ私のブログだから、誰に気兼ねすることもないんだもんね。

今回の八重山旅行では、石垣島をおもな根城にしている。その宿を仮にYとしておこう。ここは市内でも有名な「おばぁ」がオーナーなのだが、高齢なのでヘルパーさん(女性ひとり)が仕事を一手に引き受けている。ヘルパーさんは、女子大生のときもあれば、家事手伝いの女性のときもあり、宿泊していた女性がヘルパーさんに変身ときもあるなど、さまざまだ。ただハッキリしていることは、数週間単位で、ヘルパーさんが替わる、ということだ。私が石垣島を訪れれば宿泊候補の上位にする宿である。
今回私が宿泊したのは9、10、12、14日の4日間。9日朝に石垣島に来て、さっそく携帯電話で連絡を取ったが繋がらず、午前中にもかかわらず直接宿に向かった。もし台風の影響で満室なら、別の宿を探さなければならない。しかしそれは杞憂だった。宿のドアを開けるとヘルパーさんがいて、ちゃんと泊まることができた。
連絡不能は、結局私の携帯電話がおかしい、ということになった。それはそれでよい。しかしこのとき、ほんの少しだが、ヘルパーさんのツッケンドンな感じが気になった。
この日の宿はやたらと八重山諸島に詳しい一人旅の男性3人(まるで3人旅のように仲がよかった)と、もうひとり男性がいた。ほかに夫婦と娘の家族が夜の9時に来るということだったが、時間が過ぎても来ない。
そこで私は、「約束の時間を違えるということは、来ないと思いますよ。そういう例はよくあります」とヘルパーさんに言った。しかしその家族はきた(夫婦と娘)。飛行機到着の時間が遅れたからで、無断キャンセルではなかったらしい。
このあと私は、聞かれもしないのに、この日石垣島であった将棋のイベントのことなどをペラペラと話した。しかしみんなの関心はまったく惹かなかった。
そして私は、ブログを書くべく、夜11時すぎに宿を出た。この宿はホワイトボードに自分の名前と帰宅時間を書けば、遅い時間での外出も大丈夫なのだ。
いま思えば、この「オレはみんなとは違うんだ」という言動が、ヘルパーさんの反感?を買ったのかもしれない。
その後も私のこの宿の宿泊は続いたが、それからヘルパーさんは、こちらのやることに、いちいち物言い??をつけるようになった。いやこれは気のせいなのかもしれない。よく分からない。しかしここらあたりから、ふたりの間に溝ができたと思った。少なくとも、私が過去に泊まったときのヘルパーさんには抱かなかった感情だ。
14日、私は黒島から朝一番の高速船で石垣に戻り、港から近いこの宿に荷物を置きに行く。時刻は午前9時半ごろである。すると私がいた大部屋に、前述した家族の娘が、まだ寝ているという。この家族は、この日までここに宿泊し、この日の午前中に出発予定だったのだ。
それならと私が玄関のあがりかまちで、外出用に荷物を小分けにする。すると、
「荷物は玄関に置かないでください。邪魔になりますから」
ちょっ…そんなことは言われなくても分かっている。本日自分が使うべき部屋がまだ空いていないからここで仕分けしたまでで、荷物を分ければ、こんな汚い旅行カバンは、目立たないところに置く。
こちらもムッとしたまま宿を出る。そしてきのうの夜9時、宿に戻った。
玄関のすぐ前が食堂兼談話室になっていて、ヘルパーさんが女性の宿泊客と話していたが、ヘルパーさんはこちらをチラッと見ただけで、何も言わない。
その後私は10時半すぎに、このブログを書くべく宿を出たのだが、談話室にいたヘルパーさんは、女性客と話をしたままで、またも何も言わなかった。
これ、宿泊客(私)にとる態度といえるだろうか。「行ってらっしゃい」の一言ぐらい、あるべきではないのか。いいか、そのヘルパーさんに言っておく。仮にこちらの態度に問題があったとしよう。しかしそのヘルパーさんは大事なことを忘れている。それは、「私(一公)がお客様」だということだ。
昔、テレビドラマ「HOTEL」で、東堂克生役の松方弘樹が、「Guest is always right. お客様はいつも正しい」と言った。まさにそのとおりであろう。
これ、同じことが将棋の世界にも言える。男性棋士でも女流棋士でもいいが、指導対局や教室などで、「私は偉いんだ」などという態度で将棋ファンに接したら、間違いなくその棋士の評判は落ちる。しかし将棋ファンは表立って文句を言わず、黙って去っていくから、本人は、なぜファンが減ったのか分からない。
ちなみに、私が泊まっているこの宿のクチコミは凄まじい。悪い評判が立てば、すぐに宿泊の数は落ちる。たとえば14日は、私のほかに男性1名、女性2名である。まだお盆休みの最中だというのに、この数字はいかにも少ない。これ、私のほかにも同じ感情を抱いた人が、ほかの宿でも言いふらしているということはあるまいか。
問題は今日15日の朝である。ヘルパーさんが私に対してこれまでと同じ態度だったら、連泊はしない。ヘルパーさんが柔和になり、「ヘルパーさんの言動はオレの勘違いだった」と思えば、八重山諸島最後の夜を、この宿で迎えることにしよう。
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歩切れは喉の渇き

2009-08-14 20:08:50 | 旅行記・沖縄編
13日は朝から黒島へ向かった。ところが、島へ着いて「しまった!」。携帯している2リットル入り「さんぴん茶」の残りが少なくなっており、補充するのをうっかりしていたのだ。
宿に荷物を置いて、とりあえず「旅行貯金」をするべく宿を出ると、近くの自動販売機の500ミリリットルペットボトルは160円であった。離島だから10円割高になっているのだ(ちなみに缶ジュースは110円である)。割高でも買えばいいのだが、石垣島のコンビニでは、946ミリリットルの紙パックさんぴん茶が108円で売られている。それを思うとバカバカしくて、結局買わなかった。
沖縄、とくに八重山諸島では、水分の確保は必定である。とにかく陽射しが強いから、大量に汗をかく。つねに一定量の水分は携行しておきたい。
と言う私も、過去に水分不足でたいへんな目に遭ったことが何度もあるのだ。
石垣島中央北部にある野底岳に登った際は、350ミリリットルの缶ジュースを2本しか携帯しなかったので(当時はペットボトルがなかった)、登山の途中で水分が切れて喉がカラカラになり、またこういうときに限って同行者がいたため引き返すことも自分のペースで登ることもできず、頂上に着いたときは、息もきれぎれでしばらく動けなかった。
与那国島へ行ったときも、海岸線に沿った県道を歩いていたら水分がなくなり、近くに自動販売機もなく、このときもほとほと参った。よほど海に入っちゃおうか、と思ったものだった。ようやっと市街地に戻り、自動販売機でジュースを買い、プルトップを開けるときのプルプル震えた指を、いまでも覚えている。
石垣島の南西に位置する御神崎(うがんざき)を1周したときが最も酷かった。これも途中で水分が切れたが、辺りは何もない一本道なので、ひたすら岬を歩くしかない。
汗を大量にかいて、脱水症状になりかけていたと思う。大きな赤い箱を見るとジュースの自動販売機かと思い、期待して近づくと違っていて、落胆したことが何度かあった。
もう半分意識がもうろうとしかけたころ、ある家の前に自動販売機があり、もう騙されないぞとそろそろ歩を進めたら「本物」で、地獄に仏とはこのことかと、心底嬉しかった。
1本、また1本と買って、計4本を飲んだ。このときほど水分の有難みを実感したことはない。私はそのまま自動販売機の横にへたり込む。放心したような、生き返ったような、なんとも不思議な気持ちだった。辺りを、放し飼いのニワトリが歩いていた。私は記念に、この自動販売機をカメラに収めたものだった。
「ヒトは水だけで生きられる」
私はこの時、本気でそう思った。
宿に戻ってこのことを話すと、女主人が言うには、そこの家は、自分たち家族が飲むために自動販売機を設置していたのだそうだ。もしあのとき販売機がなかったら、私はどうなっていたか分からない。

というわけで、将棋の「歩切れ」は、「喉の渇きに相当する」と私は思う。
水は大量にあっても有難みはないが、なくなってくると、「渇水」となって生活問題となる。
将棋もそうである。歩の持ち駒が10枚もあればさすがに多いと感じるが、歩切れの状態だと、なにか指しづらい感じがしないだろうか。どこかで歩がほしい、と感じないだろうか。この心理、水がほしいときの感覚によく似ていると思うのだ。そして1歩を手に入れたときのどこかホッとした気持ち、経験したことはないだろうか。
かつて芹沢博文九段が、「歩切れの場合でも、つねに1歩が入る局面にしておけばいい」という意味のことを言った。
まあこれは高級な教えとしても、このブログを読んでいる将棋の初心者はいないと思うから言わずもがなだが、持ち駒に常に歩がある状態を心がけておく、逆に言えば、相手にむやみに歩を渡さないことを注意すれば、グンと勝率はアップするはずである。
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木村一基八段がタイトルを取れない理由

2009-08-13 00:14:10 | 将棋雑考
12日は、昼前に鳩間島から石垣島へ戻り、行きつけの日本そば屋でランチを摂ったあと、午後から小浜島を日帰りした。
いいところだった。私が最初にここを訪れたときは例によって雨で、いい思い出がなかったから、小浜島は面白くない、と決め付けてしまったのだろう。やはりヒトの教えには耳を傾けるものだと痛感した次第。

昨年の5月31日、東京・新宿のホテルで「LPSA1周年記念パーティー」が行われた。そのとき私も図々しくお邪魔したのだが、待合室で植山悦行七段に「一公君、こっちこっち」と手招きされたときはビビった。なぜなら、その周りにはプロ棋士しかいらっしゃらなかったから。私はプロの先生とお話できるような器の人間ではないので、そちらへ合流するのは丁重にお断りした。
それはともかく、この日は木村一基八段もパーティーに参加していた。プログラムも滞りなく終わり、散会となったときのこと。
木村八段と私が、たまたま帰りのエレベーターで一緒になった。地下1階(だったと思う)に着き扉が開く。驚いたのはこのときである。
木村八段が、この階で降りる人のために、開いたドアを手で押さえてくれたのである。その行為に甘えつつ、私も降り、木村八段も最後に降りた。
いかがであろうか。もし私がプロ棋士のA級八段だったら、間違いなくサッサと降りて、後ろも振り返らず帰途に就くところである。しかし木村八段は、このパーティーに来た方は皆さん将棋ファンだからと、私たちに気を遣ってくださったのだ。そればかりか木村八段は私のようなものに「お先に失礼します」と丁寧にお辞儀をし、颯爽とその場を離れて行かれたのだった。
木村八段は、かつてLPSAのファンクラブイベントに「シークレットゲスト」として登場したときも、「シークレット」のため、出番の時間(約1時間)まで、衝立の影でじっと待っていた、という逸話を持つ。
やはりこれらの行為は、普通の棋士にはできないことだと思う。木村八段に女性ファンが多いというのも、肯ける気がする。しかしこの「優しさ、思いやり」が、勝負事ではマイナスになっているのではないか、ひいてはタイトルを取れない理由のひとつではないか、とも思うのだ。何かもっとふてぶてしいものがあったら、すでにタイトルのひとつやふたつは獲っていたのではないか(もちろん、いままでタイトルを獲った棋士がふてぶてしい、という意味ではない)。
現在木村八段は王位戦七番勝負で3勝1敗と優位に立っている。ぜひもう1勝をもぎ取って、タイトル獲得の栄誉に浴してほしいと願っている。
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LPSA金曜サロン・リーグ戦の激闘

2009-08-12 19:19:05 | LPSA金曜サロン
11日は鳩間島の民宿に泊まった。この日の宿泊客は私のほかに、大阪・神戸の女子大生3人組と、男性サラリーマンがひとり。夕食後、ナインティナイン司会のクイズ番組を見ながら、みんなで盛り上がる。キャピキャピの女子大生はやはりいい。LPSAにはいないのが痛い。
その後、私は港へ赴き、鳩間の夜空を仰ぎ見る。これぞ天然のプラネタリウム。星が降ってくるようだ。あっ、大きな流れ星!! しかしこういうときはパッと願い事が出てこないもの。夜空を見るときは、願い事を予め用意しておくに限る。

さてLPSA金曜サロンのメインは女流棋士との指導対局だが、そのいっぽうで、会員同士が対局する金曜リーグも、なかなか熱が入る。女流棋士との対局はあくまでも「指導」だから、ある意味「片真剣?」みたいなものだが、金曜リーグは名誉と副賞が懸かった真剣勝負である。その雰囲気は、プロ棋士のそれとなんら変わらないと信じる。
あれは先月の金曜サロン、W氏とのリーグ戦だった。W氏とはこちらが飛香を落とす手合いなのだが、前回のリーグ戦で私が二枚落ちで勝利したため、私が所望して、前回と同じ二枚落ちでの対局となった。
W氏は二枚落ちの定跡をよく勉強しているが、△5五歩などのマギレを使わなくても、なんとかゴマかせる自信はあった。
しかし将棋に自信過剰は禁物だ。ふつうに定跡通りに指して、ふつうにこちらが敗勢になってしまった。もう投了してもおかしくないのだが、リーグ戦はプロの順位戦みたいなもの。簡単に負けるわけにはいかない。ここで、そのときの駒の配置の一部を示す。

上手 一公:1一香、1三歩、2一桂、2三歩、3三歩、4一王、4二金、4三歩、5一歩、5九と、6八金、9四歩、9一香 持駒:角など
下手 W氏:1七歩、1九香、2七歩、2九桂、3八玉、3九金、4七銀、7一竜 持駒:金、銀2、桂など

ここで上手の手番。もう受けがないので、私は諦め気味に△9三角、と打った。これに、▲9一竜とでも香を取られていたら、私は指しようがなかった。
ところがW氏は熟考の末、▲5三桂と打ってきた。当然の△同金に、W氏は続けて▲3二銀と打つ。何を考えているのか。私はありがたく△同玉と頂戴すると、W氏は▲5一竜。銀桂を捨てて、5一の歩をもぎ取ったのだ。仕方ない△4一銀合に、下手が▲4二銀と打てばこちらも受けが難しかったのだが、W氏は独特の読みで▲4二金。以下△4二同銀▲4一銀△3一王▲5三竜で必死と思いきや、△3二桂が粘りある受けで、これはこちらが持ち直したと思った。
そこでW氏は▲2二金。以下△2二同王▲4二竜に△3一金と自信満々に打ったのだが、▲3二銀成と指されて飛び上がった。これは△3二同金の1手に▲3一銀と打って、簡単な詰みである。
いやいや、参った。▲5三桂とか▲3二銀とかおかしな手を指しているから、△3一金と竜をはじいた手に対して、驚いて竜を逃げてくれるかと読んだのだが、桂を取られる手をうっかりしていた。
この手があるなら、▲2二金には、△4一王と銀を取るのが正着だった。もちろんこれも読んだのだが、2二の金で3二の桂を取られるのがイヤだった。しかしこれは△同王と取っていてなんでもない。△4一王だったら、5三の竜取りが残っているから、下手は竜を逃げる1手。これならこちらも持ち駒が増えたから、反撃に転じて上手1手勝ちになったと思う。
リーグ戦でこの負けは痛かった。どうかすると、最近では女流棋士に負けるより、金曜リーグで負けるほうが悔しい。
次に私が金曜リーグを戦えるのは21日になると思うが、それまでたっぷりと、鋭気を養っておこうと思う。
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