一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

4月12日のわらび将棋教室(前編)

2014-04-17 00:02:15 | 蕨将棋教室
現在、たまたまチャンネルを合わせた「マツコ有吉の怒り新党」に、豊川孝弘七段が出ている。最初の5分ぐらい見逃してしまったようで、残念。こういうのは、番組表に書いてくんないかなあ。

8日(火)の東十条将棋教室のあと、植山悦行七段、W氏と食事を摂ったとき、植山七段から
「大沢さん、12日はどうなの?」
と聞かれた。
「12日(土)」とは、植山七段が講師を務める、「わらび将棋教室」のことである。
同教室の生徒は子供が中心で、通常はレギュラーが3、4人。それに私やFuj氏、Ok氏が加わっている。
ところが前回の3月23日(日)は、「おためし」も含め、7人もの子供が集まったのだが、たまたま大人は0人だった。大人が0人でもふつうは問題ないが、わらび教室は様相が異なる。子供の棋力が初級者から有段者まで幅広いので、大盤を使っての講座ができないのだ。
よって、植山七段が多面指しをすることになるが、これがすこぶる大変だったようだ。
スタッフのW氏も助っ人として頑張ったらしいが、このパターンが次も続いたら大変と、植山七段から冒頭の言葉が出たらしかった。

それを聞いたからというわけではないが、12日はわらび将棋教室に行った。屋敷伸之九段―Ponanza戦もおもしろいが、棋譜はあす見ればよい。
それにしても、6日(日)の大野教室、8日(火)の東十条将棋教室、11日(金)の東十条囲碁将棋サロン+ジョナ研、そしてきょうと、1週間で4回目の将棋教室だ。これでは私が将棋バカだと揶揄されても、否定できない。
「くるる」のエレベーター前でS君親子と会う。S君はいつも父親同伴なのだ。
しかし教室に入ると、子供生徒はS君も含め3人。この程度の生徒なら私が来た意味がないではないか。
「帰ろうかな」
と不貞腐れてみる。本当は将棋を指したいのに、心と裏腹なことを言う。
「まあゆっくりして行ってください」
と植山七段が穏やかに言う。私は余計なことをつぶやいてしまったようだ。
とりあえず3面指しが始まったところで、新たに少年が来た。彼と私が指したほうがいいとも思うが、植山七段はそれを制す。
やがてFuj氏、A君も来た。W氏がくすっと笑う。Fuj氏は8日(火)から11日(金)まで地方に出張で、ために今週の東十条にもジョナ研にも参加できなかった。Fuj氏、将棋に飢え、ウズウズしているようだ。
もっとも本人に問うと、ホテルでは名人戦の棋譜を並べ、それなりに充実したひとときを過ごしていたらしいが。
新たな少年はW氏が講義をし、A君にはFuj氏が指導対局を行うことになった。手合いは植山七段の指示でFuj氏の飛車香落ち。この前までは二枚落ちだったから、昇級したことになる。子供の棋力向上は早い。
書き遅れたが、私は植山七段と平手戦である。通常は角落ちなのだが、横の子供2人が植山七段に平手で挑んでいては、私も同じ手合いで指さざるを得ない。
将棋は私の四間飛車に、植山七段は△6四銀~△7三桂~△8四飛。珍しい形となった。
奥の少年は横歩取り。隣のS君は相矢倉戦となっていた。
少年らは早指しで、ポンポン指し手が進む。私も早指しのほうだが、彼らより遅い。植山七段△7五歩の仕掛けに、私は定跡どおり受けていった。
奥の少年、S君と相次いで終わる。いずれもいい勝負に見えたが、上手がきっちり寄せ切った。下手にも指したい手を指させ、最後は綺麗に決める。指導対局のお手本を見るようだった。
こちらはむずかしい将棋になっている。私の左桂が上手の右銀と交換になったが、左銀は8七で遊んでおり、思ったほど得していない。
その銀を植山七段が馬で取る。馬筋が逸れたので、私は▲2二角と放り込んだ。
教科書どおりの攻めで、△2二同玉なら▲4一飛成と金を取り、これが▲3二金と▲5二竜(金を取る)を見ている。
実戦もそのように進み、植山七段の淡白な指し手もあって、私が幸いすることができた。
アマがプロに平手で勝つ。一見アマの大殊勲に見えるが、指導対局では当てはまらない。上手は勝敗度外視、下手のチカラをいかに引き出すかに焦点が置かれている。「ここでどう指します?」という上手の問いかけに正解を続ければ、上手も抵抗することなく、土俵を割ってくれるのだ。
とはいえ平手での勝利は、やはりうれしかった。
(つづく)
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