一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ある警備(中編)

2014-04-05 02:27:42 | プライベート
次に充てられた作業グループは、拍子抜けするくらいふつうの態度で接してくれた。本来これが本当の姿ではあるのだが、前日まではことあるごとに怒られていたから、こちらもビクビクしている。私の警備に口を出さないでくれるだけでも、たいへん有難かった。
もちろん注意されることもあったが、それは明らかにこちらの勉強不足で、私が悪い。ちゃんとしなきゃと、気を引き締めるのだった。
作業員のひとりが休み時間にジュースなんかくれると、涙が出るほどうれしかった。
この作業班の仕事が数日で終わると、いろいろな工事現場へ派遣された。この手の現場では、先輩の警備員もいるケースが多かった。
ある先輩は、ことあるごとに私の動作を「トロい」と言った。私は俊敏なほうではないが、人並み程度に動いていたつもりだったから、これは心外だった。
あるとき事務所で上司から、その彼の様子をこっそり聞かれた。私が答えられるはずもないが、上司いわく
「彼は動きがトロくてねえ。もう入社して5年になるのに、ほれ、肩のバッジがまだ1つだろ? まだ昇進できないんだよ」
何のことはない、彼はふだん上司から言われている言葉を、私に浴びせていただけだったのだ。
また別の先輩警備員は、いつも私の警備を下手クソだと言った。
ある時、五叉路の工事現場を警備することになった。1か所が片側相互通行になっているから、それも含めてクルマを誘導するのである。
先輩は五叉路の中央部。私は道路の端っこを任されたが、しばらくして上司から、中央部の警備を任された。つまり先輩と立ち位置を代わることになったのだ。5つの方向からやってくるクルマを、今度は私が一手に捌くわけである。
こんな大役私でいいのか、これも現場で仕事を覚えさせる一環なのかと、私は訝りながら警備に着いた。
五方向から来るクルマを捌き、何とか1日の警備を終えると、上司が来て、
「彼は警備が下手でねえ。きょうは君に難しい所をやってもらった」
と言った。
これも何のことはない、あの先輩警備員も、ふだん自分が言われている「下手クソ」を、私に浴びせていただけだったのだ。
どうも警備員には、先輩風をふかす手合いが多いようだった。
上司とふたりで現場についたこともあった。上司も私にいろいろアドバイスをくれた。
「君の警備は力が入り過ぎているな。一生懸命やっているのは分かるが、そんなに目一杯やらなくてもいいんだよ」
「はあ、そうですか」
「そう。オレなんか三分のチカラでやっている。ほれ、こう…ピッ、ピピッ…ピッ! な、こう、急所だけチカラを入れてメリハリをキチッとつければ、じゅうぶんサマになるんだよ」
「なるほど…!」
「うん、あとは冷静さが大事だな。どんな状況でも落ち着いていること」
「はい」
「オレなんかな、雪道を運転していて、スリップしたことがあったよ。ブレーキ踏んでも止まらないんだ。このままいったらオカマ掘る!」
「はい…!」
「だけどな、ここで焦っちゃいけない。もうブレーキは利かないんだから、オレはそのまま冷静に、前のクルマに突っ込んでいったよ」
「す…素晴らしいですね! 私が同じ状況になったら慌ててしまって、あっちこっちのクルマにぶつけてしまったかもしれません」
そもそも雪道でスリップ事故起こすほうがマヌケなんじゃありません? などと言ってはいけない。ここはひたすら、上司の言葉にうなずくのがいいのだ。
果たして上司も満足そうだった。こうして私は、上司のハートを掴んだ。
また別の先輩。彼は俳優の山本耕史似の美男子だが、女性誌を読むのが趣味と言う、変わった性癖の持ち主だった。
彼の私へのアドバイスは、
「あれをしたらダメだよ」「これをしたらダメだよ」
と、必ず「ダメ」を話の中に入れる人だった。これは実際言われてみれば分かるが、人間、「ダメ」と言われると自分全体を否定されているようで、気分が悪いものである。
それから私は人に対して、否定を表す「ダメ」を、極力使わないように努めた。
こうして、私の1日の活動がだいたい定跡化されてきた。当時の記憶が定かではないが、事務所には毎朝顔を出していたように思う。というのは、起床が毎朝6時前後だったからだ。そこで現場に赴き夕方に仕事を終え、夜に帰宅して夜食を摂り、風呂から上がってくつろぐと、もう午前0時を過ぎている。そこで布団に潜り込むが、疲れは翌朝まで残ることもたびたびだった。この頃は1日4食だったが、しっかりカロリーを消費していたので、私はみるみる痩せていった。
そんなある日のことだった。事務所に寄ると、上司のひとりが
「来週の火曜日、『笑っていいとも!』の警備に入ってくれ」
と、私に言った。
(つづく)
コメント (2)
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