一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ジョナサン駒込店、閉店

2014-04-11 00:21:12 | ジョナ研
今年最初の「大野教室」のとき、W氏から「ジョナサンが今年2月で閉店になる」と聞き、衝撃が走った。 Hon氏の知人がジョナサン駒込店に務めており、そこからの情報だという。
「ジョナサン駒込店」は当ブログで説明するまでもないだろう。同店は、かつてLPSAの事務所兼サロンが駒込にあったころ、サロンを訪れた私たちが、「放課後」に利用していたファミリーレストランである。
ジョナサンでは植山悦行七段はじめ幾人もの将棋バカがそろい、将棋よもやま話、棋界の最新情報、タイトル戦の棋譜並べ、サロンでの指導対局の検討と、憩いの場として大いに活用させていただいた。
LPSAが田町に移転したあとも、私たちは月に1~2回のペースでジョナサンに集うようになり、いつしか対局までするようになった。私たちはジョナサンでの会合を「ジョナサン研究会」、これを詰めて「ジョナ研」と呼び、いままで以上に利用した。
ジョナサンには午後7時前から入り、12時近くまで粘る。店側はおもしろくなかったはずだがそこはそれ、かつては毎週通っていた「お得意さん」だから、長居と将棋を黙認してくれた。それどころか私たちは、ウエイトレスのAyakoさんとも親しくなることができた。
美味しい食事を摂り、ビールを飲み、ドリンクは飲み放題。そして将棋もある程度自由に指せる。さらに素敵なウエイトレスさんもついて、これでひとりあたり2~4千円で済む。まさに天国のような場所で、Kun氏がジョナサン駒込店を「聖地」と称したのも、言い得て妙であった。
そのジョナサン駒込店が閉店する。信じたくなかった。
店が黒字なら、撤退はしない。そういえば、数年前に比べて、客の入りも悪くなっていた気がする。むかしは退出のときもそこそこ客席が埋まっていたが、最近はガラガラになっていることも珍しくなかったからだ。
それにしたって晴天の霹靂である。仮にLPSAが消滅することがあったとしても、ジョナサン駒込店は永久に残ると信じていた。それだけにこの報せを聞いた時は、文字どおり目の前が暗くなった。
一夜が明けて目が覚める。ああ、ジョナサンの閉店は夢ではなかったんだ…と、あらためてドヨーンとした気持ちになったのである。
私たちは閉店までの2か月間、なるべくジョナ研に集まるよう努めた。とりあえず1月は2回。このころはウエイトレスのTakahashiさん、Hondaさんと親しくなっていた。彼女らには何か餞別を渡さねばと思った。
2月に北海道を旅行した際、私は小樽の北一硝子を訪れ、彼女らにお土産を買った。新発売のグラスや、ガラス玉のネックレスなどである。値段的には大したことはないが、少しでも御礼の気持ちが示せればと思った。
2月は14日(金)がジョナ研だったが、東京はあいにくの大雪で、休止。翌週改めて開催としたが、出席者は私を含めて3名だった。
Takahashiさんは出勤していたので、お土産を渡した。Hondaさんは欠勤とのことで、Takahashiさんから渡してもらうようお願いした。また、深夜勤務のウエイトレスさんにも、お土産を渡した。
ジョナサン駒込店の閉店日は26日(水)の午後9時と決まった。12時近くまでおれないのでは消化不良だから、前日の25日(火)をジョナ研の公式最終日とし、翌26日は任意でお別れ会を開くこととなった。
25日は、私も含めて総勢8名の参加となった。ジョナ研では大人数の部類に入る。みなジョナサンの閉店を惜しみ、都合を合わせてきたのだ。そんな最終日でも私たちは、将棋談義に花を咲かせ、棋譜並べをし、実戦をこなした。
夜も更け、ひとり、またひとりと店を後にする。私は26日に参加するつもりはない。営業最終日はローカル線廃止の当日にも似てつらすぎて、とても立ち会う気がしないからだ。
あと少しで私のジョナサン駒込店が終わると思うと、さまざまな思いが去来する。何しろ2008年の秋から、5年半も通ってきたのだ。うれしいとき、つらいとき、楽しいとき、悲しいとき。その気持ちはすべてここジョナサンで、棋友にぶつけたのだ。
この光景も最後である。ウエイトレスさん、ドリンクバー、テーブルや椅子の配置…。この店内を、よく目に焼き付けておこうと思った。
25日は、11時過ぎに散会となった。いままで本当にお世話になりました。ありがとう、ジョナサン駒込店。

翌26日は3名の参加だったらしい。棋友の証言によると、閉店の30分前には、スタッフが一部のテーブル等を片付けはじめていたという。スタッフに感傷の2文字はなかったのかもしれない。
コメント (2)
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