お勤めされている方々には、きょうが本年最後の日でありますね。
わたくしも、要請はありませんが、事務所に行きました。
用事は2件ほど、これも自己発信というか、自己作成ですね。
この日は、朝から“松井秀喜”選手の引退ニュースが流れっぱなしでした。
松井選手は、「命がけ」という言葉を数回くり返していたのが、印象的です。
用事のひとつはできましたが、2つ目が成立しません。
時間はたっぷりある。
なにをしようか。
こういう時、あなたならどうします。
わたくしは、遠回りして帰るという手ですね。もうひとつテーマを作るのは、
もっといい時間の日ならね。
この駅に降りました。“京急蒲田駅”です。
歩いて5、6分というところに、“JR蒲田駅”があります。
昔、松竹の撮影所があったとか、戦後を引きずっている街なんでしょう。
JRが表で、京急は裏なんですね。
JR蒲田駅からの私鉄沿線に9年くらい住んでいました。つまり、
懐かしさとか、がこのあたりにはあるのです。
小中の時代だったから、まだ友達も住んでいます。自分が住んでいた一画も
ありますが、なにも昔のものは残っていません。当然。
話しを戻します。
ようやく、やっと“京急蒲田駅”の高架化、立体化が完成していました。
いつ、そうなったのか、正確なところは今、わかりません。
つまり、取り残されていたんですね。“京急”自体に問題がありますね。
みんな、そう云っていました。
羽田空港の推移で、遅まきながら対応したな、なんて云われておりますね。
この街は、古く、雑駁だ。
商店街の通りがいくつもあるのだが、シャッターどころではない、お店自体が
ない。ビルも、家も古い。
昔々あった映画館など、もちろんない(これはどこでも同じか)。
確か、「沈黙の世界」(S.31)、「明治天皇と日露大戦争」(S.32)、なんかを
このあたりで観たと思う。
“JR蒲田駅”の近くに、通った中学校があります。
ここでの3年間が、わたくしの中に“蒲田”を重く占拠することになったの
だろうと思います。
が、その長い呪縛が、最近解けてきたように思う。
このあたりは、また。