「MRJ」が愛知県の三菱重工の工場で18日に初公開された。
YS-11以来の完全な日本国産の旅客機となった。YS-11は、ターボプロップエンジン
によるプロペラ機だが、MRJは、噴射式のターボファンエンジン搭載の機体である。
それを採用したのは、1990年代半ばのリージョナル・ジェット (RJ) 革命がある。
リージョナルジェット (Regional jet, RJ) とは、短距離輸送用ターボファンエンジン
搭載航空機を指し、地域間輸送用旅客機と訳される。
「半世紀ぶりに、日本の翼が復活」などのタイトルが見られます。
国産旅客機として半世紀ぶり、国産ジェット旅客機としてはわが国初となります。
わたくしの感想、ここには戦後(今ごろだが)が完全にふっ切れている。
日本の飛行機、日本製のまっさらな新しい飛行機がここにあったと思います。
その半世紀前の旅客機 YS-11です。正直なところ、当時かなり、ダサッと思いました。
この飛行機が“戦後”を満載している、とそう知りました。
連合国の占領下からGHQ SCAPによる航空禁止令が布告されて、日本にあるすべての飛行機を
破壊され、航空機メーカーを解体され、航空会社を潰され、大学の授業から航空力学の科目を取り除かれた。
日本が、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約の発効で再独立した。
日本企業による飛行機の運航や製造の禁止が一部解除され、この年の7月に航空法や航空機製造事業法が施行された。
1957年(昭和32年)5月、理事長に新三菱重工副社長の荘田泰蔵が選任され、
専任理事に木村秀政東京大学教授を迎えた「財団法人 輸送機設計研究協会」(通称「輸研」)が
東京大学内に設立され、小型旅客輸送機の設計が始まった。
敗戦国とは、こういうものなのかと。さらに驚くのは、その「輸研」の中の設計陣であります。
輸研には、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や雷電、烈風を設計した堀越二郎(新三菱)、
中島飛行機で一式戦闘機「隼」を設計した太田稔(富士重工業)、川西航空機で二式大艇や
紫電改(及び紫電)を設計した菊原静男(新明和工業)、川崎航空機で三式戦闘機(飛燕)や
五式戦闘機を設計した土井武夫(川崎重工業)、と戦前の航空業界を支えた技術者が参加した。
航空業界では航研機の製作に携わった木村秀政(東京大学教授)を加えて、「五人のサムライ」と呼んだ。
エエッと思いませんか。この驚くべき陣容 !?
飛行機の運航や製造の禁止からの悲願の復活、などといいますが、リベンジではないかとまで
思ってしまいました。
わたくしの中の“ゼロ戦”、憧れのゼロ戦も、最近終了いたしましたが。
1964年(昭和39年)8月に運輸省(当時)の型式証明を取得し、国内線向けの出荷と納入を開始した。
9月9日には全日空にリースされた2号機が東京オリンピックの聖火を日本全国へ空輸し、
日本国民に航空復活をアピールした。
あの東京オリンピックに間に合っています。すべてが“戦後”でありますね。
運用開始は、翌年の1965年(昭和40年)3月30日。
「1990年代後半、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが小型のRJを多数発表した」
そういうマーケティングが始まっています。
MRJ(三菱リージョナルジェット)は、初飛行:2015年第2四半期予定。
運用開始:2017年第2四半期予定、です。ちょっと遅れていますが。
日本の航空業界は、ここに復活したと言ってよい、と思います。