以下、コメント欄からコピペ。
改めてまとめてもらうと自分との認識の違いとか把握できて面白いです。
気になった点ですが、
>HKTというAKBの「外部」にして、
姉妹グループってAKBの外部という認識なんですか?
というか、脱前田学習って狭義のAKB48で進んでいる事として語ってるのでしょうか?
「本店」「支店」という言葉の是非は棚上げしますが、AKB本店という枠組みを設定して、そこからの視点だとHKTは「外部」と見なすことができます。一方でAKBGという枠組みを設定すれば、HKTは「外部」とは呼べなくなります。ここで重要なのは、そんな枠組みによる階層構造であり、そこに現れるフラクタルです。
前田AKBからの脱学習というのも同様で、AKB本店という枠組みでの見え方、AKBGとしての見え方、さらにはヲタさんからの見え方、ファンですらない一般の方からの見え方まで、階層構造をなして重層的に存在すると考えられます。この辺り、周圏論的な比喩になるかと思いますが、学習の「濃さ」と脱学習の困難さは、反比例になるかも知れません(たぶん非線形でしょう)。
そう考えてみると、メンバーではなくてファンの脱学習こそが、この問題にとってのクリティカルとなるようにも思います。
改めてまとめてもらうと自分との認識の違いとか把握できて面白いです。
気になった点ですが、
>HKTというAKBの「外部」にして、
姉妹グループってAKBの外部という認識なんですか?
というか、脱前田学習って狭義のAKB48で進んでいる事として語ってるのでしょうか?
「本店」「支店」という言葉の是非は棚上げしますが、AKB本店という枠組みを設定して、そこからの視点だとHKTは「外部」と見なすことができます。一方でAKBGという枠組みを設定すれば、HKTは「外部」とは呼べなくなります。ここで重要なのは、そんな枠組みによる階層構造であり、そこに現れるフラクタルです。
前田AKBからの脱学習というのも同様で、AKB本店という枠組みでの見え方、AKBGとしての見え方、さらにはヲタさんからの見え方、ファンですらない一般の方からの見え方まで、階層構造をなして重層的に存在すると考えられます。この辺り、周圏論的な比喩になるかと思いますが、学習の「濃さ」と脱学習の困難さは、反比例になるかも知れません(たぶん非線形でしょう)。
そう考えてみると、メンバーではなくてファンの脱学習こそが、この問題にとってのクリティカルとなるようにも思います。
一般的に学習が進めば進むほどそれから抜けるのは難しくなるから、通常は正比例の関係ですよね。
で反比例ということは、物理的にだけでなく学習意欲とか含めた震源からの距離も考慮すると、早く学習が進んだところは次の学習も早く進むので反比例になると。
そうすると、総選挙で単純な反比例関係にならない層と指ファンは泥沼の戦いをしたんだな妙に納得できる。