http://ameblo.jp/kiryu-in/entry-11444963450.html
鬼龍院翔さんの言わんとするところは分かるつもりだし、ここら辺がなんとも難しいんだけど、エラソに聞こえてしまいそうで、ちょっと躊躇しつつとかもったいぶりつつ、それでもどうせ書いてしまうんだけど、取り敢えず「倫理」をリセットしてみるというのをお勧めしたいかも。
もちろん倫理規範は重要なのは言うまでもない。けれども無自覚な前例踏襲的な倫理を第一基準にすると、物事の理解や判断が歪められてしまうやも知れない。こう書くと何のことだか分かりにくいけど、原則論から始めてみる。
正当な商行為とは何か。それは需要と供給のwin win関係であり、求める者が払う正当な対価と、与える者が用意する商品を交換することだろう。この辺り、もっとまともな定義とかがあるのかも知れないけれど、とりあえずはこんなもんで良いはず。
いわゆる「AKB商法」の場合、商品の表書きは「CD」と書いてあって、公式の商品情報も第一義的には「CD」として取り扱われてる。けれどもデフレでものが売れない中、値下げはもちろんだけど、様々な特典を付けて、少しでも購買意欲を煽ろうというのは、決して禁じ手でも何でもない。もちろん、「AKB商法」がデフレと直接関係してるという証拠はないかもしれないけれど、そんなのはどうでも良いことで、ここで言いたいのは、「CD」を売るために特典を付けるというのは、限度を超えない範囲で、商行為として問題ないということ。
ここで「限度」なんて言っちゃったけど、このあたり、実際にどのような法令解釈がされてるのか分からんので、現状、「CD」にDVDと握手券なり投票権を付けるという商行為が認められてる以上、法令的にはクリアできてると考えることにする。
次に同一商品の複数買いはどうか。話を「CD」に限らなければ、複数買いする商品なんてありふれていることになる。となると「CD」という特定の商品の複数買いにどんな問題があるのか、ということになる。話を最初に戻せば、商行為の基本が需要と供給の関係であり、それが正当な取引であれば何の問題もない、そういう結論に至るはず。そして、実際、複数買いする側が自らの自由意思による需要に基づいており、支払う対価を正当ではないとは考えないのは明らかだと思うので、やはり何の問題もない。
供給者の側から見れば、当然複数買いしてくれた方が売り上げが伸びるのだし、ならばこそ複数買いを促進する目的で、複数タイプを用意するというのは、極めて自然な考え方となる。これが「なんたら心を煽る」とかだと問題があるかも知れないけど、取り敢えずはセーフのはず。
となるとどこにも問題はないではないか。何のことはない、だらだらと屁理屈めいたことを書いてしまったけど、つまりは鬼龍院さんも言うとおり、それが「CD」だからこそ、そのこだわりというか過去のしがらみみたいなもの、「CD」という媒体を通して「音楽」を売るという特異性、というか一種の超越性への郷愁みたいなもの、それに反するという「倫理」的な思い込みこそが、問題の本質と言うことになる。
ならばこそ、現在の「CD」は過去のCDとは似て非なるものであり、時代の変化がCDのよって立つあり方を変質させたのであり、今を生きる者は、その今ある「CD」を買いたければ買えば良い、それで良いんじゃないか。
鬼龍院翔さんの言わんとするところは分かるつもりだし、ここら辺がなんとも難しいんだけど、エラソに聞こえてしまいそうで、ちょっと躊躇しつつとかもったいぶりつつ、それでもどうせ書いてしまうんだけど、取り敢えず「倫理」をリセットしてみるというのをお勧めしたいかも。
もちろん倫理規範は重要なのは言うまでもない。けれども無自覚な前例踏襲的な倫理を第一基準にすると、物事の理解や判断が歪められてしまうやも知れない。こう書くと何のことだか分かりにくいけど、原則論から始めてみる。
正当な商行為とは何か。それは需要と供給のwin win関係であり、求める者が払う正当な対価と、与える者が用意する商品を交換することだろう。この辺り、もっとまともな定義とかがあるのかも知れないけれど、とりあえずはこんなもんで良いはず。
いわゆる「AKB商法」の場合、商品の表書きは「CD」と書いてあって、公式の商品情報も第一義的には「CD」として取り扱われてる。けれどもデフレでものが売れない中、値下げはもちろんだけど、様々な特典を付けて、少しでも購買意欲を煽ろうというのは、決して禁じ手でも何でもない。もちろん、「AKB商法」がデフレと直接関係してるという証拠はないかもしれないけれど、そんなのはどうでも良いことで、ここで言いたいのは、「CD」を売るために特典を付けるというのは、限度を超えない範囲で、商行為として問題ないということ。
ここで「限度」なんて言っちゃったけど、このあたり、実際にどのような法令解釈がされてるのか分からんので、現状、「CD」にDVDと握手券なり投票権を付けるという商行為が認められてる以上、法令的にはクリアできてると考えることにする。
次に同一商品の複数買いはどうか。話を「CD」に限らなければ、複数買いする商品なんてありふれていることになる。となると「CD」という特定の商品の複数買いにどんな問題があるのか、ということになる。話を最初に戻せば、商行為の基本が需要と供給の関係であり、それが正当な取引であれば何の問題もない、そういう結論に至るはず。そして、実際、複数買いする側が自らの自由意思による需要に基づいており、支払う対価を正当ではないとは考えないのは明らかだと思うので、やはり何の問題もない。
供給者の側から見れば、当然複数買いしてくれた方が売り上げが伸びるのだし、ならばこそ複数買いを促進する目的で、複数タイプを用意するというのは、極めて自然な考え方となる。これが「なんたら心を煽る」とかだと問題があるかも知れないけど、取り敢えずはセーフのはず。
となるとどこにも問題はないではないか。何のことはない、だらだらと屁理屈めいたことを書いてしまったけど、つまりは鬼龍院さんも言うとおり、それが「CD」だからこそ、そのこだわりというか過去のしがらみみたいなもの、「CD」という媒体を通して「音楽」を売るという特異性、というか一種の超越性への郷愁みたいなもの、それに反するという「倫理」的な思い込みこそが、問題の本質と言うことになる。
ならばこそ、現在の「CD」は過去のCDとは似て非なるものであり、時代の変化がCDのよって立つあり方を変質させたのであり、今を生きる者は、その今ある「CD」を買いたければ買えば良い、それで良いんじゃないか。
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