何度か留年の危機を乗り越え大学も無事卒業。大阪に本社のある某製薬会社に営業として入った。同級生の大半が大学院や研究職につく中、なぜ営業職になったのか。それはただ単に給料がいいからだった。時代はバブル真っ盛り、週末はディスコ。当時400万以上したRX-7カブリオレは超高嶺の花だった。
W県に赴任が決まった平成元年。
2年落ちのRX-7を350万円で購入。MTかATかで悩んだが流れはやはりAT。これは完全に裏目に出た。緩やかなのぼりでは常にキックダウンとストールを繰り返しパーシャルで走ることが難しいのだ。また燃費も極悪でリッター5km/hぐらい。
しかし、ディスコ帰りや、俗に言うナンパ通りなどでは2シーターにもかかわらずライバルたちを確実にリードできた。
W県に赴任が決まった平成元年。
2年落ちのRX-7を350万円で購入。MTかATかで悩んだが流れはやはりAT。これは完全に裏目に出た。緩やかなのぼりでは常にキックダウンとストールを繰り返しパーシャルで走ることが難しいのだ。また燃費も極悪でリッター5km/hぐらい。
しかし、ディスコ帰りや、俗に言うナンパ通りなどでは2シーターにもかかわらずライバルたちを確実にリードできた。
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