三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言」

2022年08月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言」を観た。

https://www.universalpictures.jp/micro/finalaccount

 ドイツ人の精神性は日本人のそれに似ている気がした。みんながやっていたからとか、命令されたから仕方なくとか、従わないと自分がやられるとか、そういった理由で自分の行為を言い訳する。どれも日本でも聞いたことがある言い訳だ。

 第二次大戦時に日本国内で朝鮮人や中国人がどんな目に遭ったのか、誰もはっきりとは語らないから詳細は不明だが、噂話や言い伝えの類はあって、日本人は彼らに対してかなり酷いことをしたらしい。関東軍が中国で行なった残虐行為については、映画「日本鬼子」でたくさんの元陸軍兵士が証言している。国内での朝鮮人や中国人に対する残虐行為も想像を絶する酷さであったことが類推される。三菱重工をはじめとする軍需産業が朝鮮人を徴用工として強制労働させた記録もある。しかし日本人の誰も、責任を取らない。言い訳はドイツ人と同じだ。

 本作品を観て恐怖を感じたのは、一度でも国家主義が走り始めたら、後戻りができなくなるということだ。お国のためという大義名分は万能で、あらゆる局面で国民の行動を制限し、束縛することができる。互いに見張り合って、ドロップアウトが許されない時代になるのだ。退職が不可能なブラック企業みたいなもので、労働力だけでなく精神まで全体主義に蹂躙される。
 個人として反体制を貫く人々も現われるだろうが、そういう勇気のある人はごく少数である。しかも弾圧されて拷問の憂き目に遭う。すると大多数は強権を恐れて物を言わなくなる。権力者に唯々諾々と従って、国家が破滅に向かうのを無気力に眺めているしかない。
 そうなっては遅いのだ。だから有権者は誰が戦争をする政治家で、誰が戦争を回避できる政治家なのかを見極めなければならない。戦争をする政治家を落選させ続けることが、戦争を望まない有権者の責務である。

 ところが昨今は、戦争をする政治家が当選し続けている。「積極的平和主義」などと意味不明の言葉を叫んで拳を振り上げていたアベシンゾーがその筆頭だった。アベは射殺されたが、その一派で軍事力増強を主張している政治家が国会に溢れている。

 極右政治家が勢力を伸ばしているのは日本だけの傾向ではない。世界の人々は多分、平和を望んでいないのだ。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。