徳島県阿南市の我が倉庫ハウスの前の川は大雨洪水注意報の通り氾濫?しているようです
でも高床式だからそれほど心配はありませんし、旅に出ると何があってもなるようにしかならないので実は気にもしてません
こちら群馬県沼田市は朝から冷たい雨が降り続いています
こんな日にゆっくり見たいと思っていたのが「カインズホーム」(ホームセンター)です
工作好きの男にとって、ホームセンターほど見ていて愉しい所はそうありません。
それに、時々しっかり時間を掛けて商品を見ておかないと「時代」に遅れてしまいます
次々と新しい物が現れるし、色々なものを見ておけば「応用」出来ますから・・・10時の開店を待って入って12時まで
昼飯を食べてまた二時間ほどしっかり見て、次は100円ショップで・・・同じような理由で全てを頭に入れます
買ったものは両方で2000円位ですが・・・有意義な男の一日になりました
今日のタイトルに入ります
昨日このブログに「ドクタータカハシ」の広告に気付いたからなんですが・・・それは本当に昔の話になります。
阿南潜水第一期時代の1970年代半ば、僕も日本へ戻ってダイビングショップを始めて二年目の頃だったでしょうか
当時はまだ日本でもダイビングをしている人は多くなく、まだまだ特殊な一部の人達の遊びでした
その上僕が始めた店の場所は阿南市でも辺鄙な住宅地の間にありましたから知る人も僅かです。
そんな所へ当時徳島大学医学部の学生だった高橋氏がやってきたんです
色が白くて・・・それほど野性的な感じではありませんでした(パンツの中は黒くて巨大だったけど)
「ダイビングをしたい」と来たんですが、当時のダイビング機材は高価でした
もう少し前の僕が始めた頃は一ヶ月の給料でウエットスーツ一着がやっと買える程、超高価な時代でしたが、高橋氏が始めた頃でも給料が10万無い時代でしたから学生がアルバイトでダイビングをするとなると「全て」を注ぎ込まないと出来ません
そんな時代だったんですが、社会人の高給取りに混じって、最高の機材を買って、時間があればダイビングに行っていました
「のめりこむ」タイプです。当時のダイバーの殆どが「それに全てを掛けている」ような時代でもありましたが家庭教師のアルバイトを掛け持ちして、社会人と張り合っていました
そのうちに医師の資格がとれて病院の夜勤アルバイトに出れるようになり、今度は皆より余裕が出来てくるんですが・・・
その当時の僕らが潜る狙いは「魚突き」で少しでも海中に長く居たいから重たいダブルタンクを背負って潜っていました
それも漁船や渡船に送ってもらうとお金が要るから・・岸から泳いで沖に出ていました
僕も山に登っていた時は「それに全て」海に潜り始めても「それに全て」を注いでしまう性格ですが・・・
数年間、氏が外科医として東京の国立癌研に移動するまで、「ダイビング命」の如く休みには一緒に潜っていたように思います
それで僕の長い「魚突き人生」の中で特に大きな二度の体験を共に味わう事になったのは不思議でもあります
一度は地磯から「20キロのクエ」
もう一つが後述のサケガシラです。
僕はヨットホロホロ3世で世界一周に出るんですが・・僕が初めてゆっくり日本へ戻った2000年に・・・氏が東京から徳島へ戻ってきた時に20年ぶりに会って「ピアスの会社、JPS」をしていると聞いたときは驚いたものです
医療最先端の癌研の外科医から・・・ピアスの会社経営ですから
そしてなんとその「耳に穴を開ける器械」は世界的なシェアを占めていると言うから、驚きです
ダイビングもそうでしたが何でも夢中になる性格なので、今までの耳に穴を開ける器械が悪いからトラブルが起きると思い立つと、自分が納得できるまで研究して何度でも作り直し満足する結果が出るまで治まらないんです
それでとうとう新しいピアスの器械を作って販売し始めたんです
実は僕にもそんなところがあって、ウエットスーツは何百回と改良しましたし、潜水の命のレギュレーターは自信を持って売る為に、色々なメーカーの何種類ものレギュレーターを分解して何度も何度も色々な状況を考えて分析した経緯があります
でも自分でレギュレーターを作ればもっと良い物が出来るとは思ったけれど・・作ろうとまでは思いつきませんでした
話は戻りますが、その高橋氏が数年前から新しい会社「永久保証の脱毛サロン、ドクタータカハシ」を始めたと知ったのは、僕がホームページ「溝田正行の世界」を立ち上げる時でした。
そして・・・いつの間にか銀座を初め日本全国に20近くも支店がある大手の脱毛サロンに
ホームページを読んでいると・・・ここでも従来の脱毛機の短所を解決しようと・・・自分で研究しながら自社製の脱毛機を造ってしまっています
凄いでしょ。
僕は全く変わらずの「遊び人」ですが・・医学生高橋知之はいまや実業家で有名人になりました
そんな高橋ドクターですが先日メールでフィリピンのセブ島にダイビングが出来る民宿を造っていると連絡くれました
今もダイビングや遊び心を忘れていない事を嬉しく思っています。そのうちフィリピンで一緒に潜れるかも??
写真は当時「チガサキ」と呼んでいたポイントで潜っていたら・・・クネクネと泳いできた怪魚を三人が三方から同時に突いて仕留めた4メートル近い「サケガシラ」です
中央が高橋ドクター、左は島田氏、右が溝田です。(若かりし日の)
写真をクリックすると解りますが僕も、高橋ドクターも島田石油社長も若かったですね
一緒に大きな石鯛を突いたんですが・・・石鯛は美味かったけど、このサケガシラは煮ても焼いても、揚げても溶けてしまいました
何故か恐くて刺身で食べなかった事をいまだに残念に思っています
最後になりましたが・・・僕のブログを読んでる人は多分もう毛が無い人が殆どだし・・・広告の効果は期待できないと思うので・・・他に移したほうが良いのではないでしょうか。
でも高床式だからそれほど心配はありませんし、旅に出ると何があってもなるようにしかならないので実は気にもしてません
こちら群馬県沼田市は朝から冷たい雨が降り続いています
こんな日にゆっくり見たいと思っていたのが「カインズホーム」(ホームセンター)です
工作好きの男にとって、ホームセンターほど見ていて愉しい所はそうありません。
それに、時々しっかり時間を掛けて商品を見ておかないと「時代」に遅れてしまいます
次々と新しい物が現れるし、色々なものを見ておけば「応用」出来ますから・・・10時の開店を待って入って12時まで
昼飯を食べてまた二時間ほどしっかり見て、次は100円ショップで・・・同じような理由で全てを頭に入れます
買ったものは両方で2000円位ですが・・・有意義な男の一日になりました
今日のタイトルに入ります
昨日このブログに「ドクタータカハシ」の広告に気付いたからなんですが・・・それは本当に昔の話になります。
阿南潜水第一期時代の1970年代半ば、僕も日本へ戻ってダイビングショップを始めて二年目の頃だったでしょうか
当時はまだ日本でもダイビングをしている人は多くなく、まだまだ特殊な一部の人達の遊びでした
その上僕が始めた店の場所は阿南市でも辺鄙な住宅地の間にありましたから知る人も僅かです。
そんな所へ当時徳島大学医学部の学生だった高橋氏がやってきたんです
色が白くて・・・それほど野性的な感じではありませんでした(パンツの中は黒くて巨大だったけど)
「ダイビングをしたい」と来たんですが、当時のダイビング機材は高価でした
もう少し前の僕が始めた頃は一ヶ月の給料でウエットスーツ一着がやっと買える程、超高価な時代でしたが、高橋氏が始めた頃でも給料が10万無い時代でしたから学生がアルバイトでダイビングをするとなると「全て」を注ぎ込まないと出来ません
そんな時代だったんですが、社会人の高給取りに混じって、最高の機材を買って、時間があればダイビングに行っていました
「のめりこむ」タイプです。当時のダイバーの殆どが「それに全てを掛けている」ような時代でもありましたが家庭教師のアルバイトを掛け持ちして、社会人と張り合っていました
そのうちに医師の資格がとれて病院の夜勤アルバイトに出れるようになり、今度は皆より余裕が出来てくるんですが・・・
その当時の僕らが潜る狙いは「魚突き」で少しでも海中に長く居たいから重たいダブルタンクを背負って潜っていました
それも漁船や渡船に送ってもらうとお金が要るから・・岸から泳いで沖に出ていました
僕も山に登っていた時は「それに全て」海に潜り始めても「それに全て」を注いでしまう性格ですが・・・
数年間、氏が外科医として東京の国立癌研に移動するまで、「ダイビング命」の如く休みには一緒に潜っていたように思います
それで僕の長い「魚突き人生」の中で特に大きな二度の体験を共に味わう事になったのは不思議でもあります
一度は地磯から「20キロのクエ」
もう一つが後述のサケガシラです。
僕はヨットホロホロ3世で世界一周に出るんですが・・僕が初めてゆっくり日本へ戻った2000年に・・・氏が東京から徳島へ戻ってきた時に20年ぶりに会って「ピアスの会社、JPS」をしていると聞いたときは驚いたものです
医療最先端の癌研の外科医から・・・ピアスの会社経営ですから
そしてなんとその「耳に穴を開ける器械」は世界的なシェアを占めていると言うから、驚きです
ダイビングもそうでしたが何でも夢中になる性格なので、今までの耳に穴を開ける器械が悪いからトラブルが起きると思い立つと、自分が納得できるまで研究して何度でも作り直し満足する結果が出るまで治まらないんです
それでとうとう新しいピアスの器械を作って販売し始めたんです
実は僕にもそんなところがあって、ウエットスーツは何百回と改良しましたし、潜水の命のレギュレーターは自信を持って売る為に、色々なメーカーの何種類ものレギュレーターを分解して何度も何度も色々な状況を考えて分析した経緯があります
でも自分でレギュレーターを作ればもっと良い物が出来るとは思ったけれど・・作ろうとまでは思いつきませんでした
話は戻りますが、その高橋氏が数年前から新しい会社「永久保証の脱毛サロン、ドクタータカハシ」を始めたと知ったのは、僕がホームページ「溝田正行の世界」を立ち上げる時でした。
そして・・・いつの間にか銀座を初め日本全国に20近くも支店がある大手の脱毛サロンに
ホームページを読んでいると・・・ここでも従来の脱毛機の短所を解決しようと・・・自分で研究しながら自社製の脱毛機を造ってしまっています
凄いでしょ。
僕は全く変わらずの「遊び人」ですが・・医学生高橋知之はいまや実業家で有名人になりました
そんな高橋ドクターですが先日メールでフィリピンのセブ島にダイビングが出来る民宿を造っていると連絡くれました
今もダイビングや遊び心を忘れていない事を嬉しく思っています。そのうちフィリピンで一緒に潜れるかも??
写真は当時「チガサキ」と呼んでいたポイントで潜っていたら・・・クネクネと泳いできた怪魚を三人が三方から同時に突いて仕留めた4メートル近い「サケガシラ」です
中央が高橋ドクター、左は島田氏、右が溝田です。(若かりし日の)
写真をクリックすると解りますが僕も、高橋ドクターも島田石油社長も若かったですね
一緒に大きな石鯛を突いたんですが・・・石鯛は美味かったけど、このサケガシラは煮ても焼いても、揚げても溶けてしまいました
何故か恐くて刺身で食べなかった事をいまだに残念に思っています
最後になりましたが・・・僕のブログを読んでる人は多分もう毛が無い人が殆どだし・・・広告の効果は期待できないと思うので・・・他に移したほうが良いのではないでしょうか。