喜多院法興寺

住職のひとりごと

落語家の三遊亭円楽さん死去=「薮入り」など人情話を得意に

2009-10-31 08:13:15 | Weblog
円楽さん死去 笑点の顔、ひっそりと(産経新聞) - goo ニュース
10月31日付 編集手帳(読売新聞) - goo ニュース
(時事通信)
 {人情話を得意とした落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため東京都内の自宅で死去した。76歳だった。東京都出身。葬儀は近親者と一門のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 東京・浅草の寺の四男として生まれた。1955年に六代目三遊亭円生に入門し、全生を名乗った。62年に真打ちに昇進し、五代目円楽を襲名。立川談志、古今亭志ん朝らと並んで「四天王」と評された。また、66年に始まったテレビ番組「笑点」でも、初代の大喜利メンバーとなり、「星の王子様」と自称してお茶の間の人気を集めた。

 「薮(やぶ)入り」「文七元結」など名人と呼ばれた師匠譲りの人情話を得意とし、筆頭弟子として円生一門を引っ張った。78年には師匠の円生らと落語協会を脱退して落語三遊協会を設立、話題になった。師匠の死後も落語協会には戻らず、85年には私財を投じて寄席「若竹」を建設したが、4年余りで閉鎖を余儀なくされた。

 腎不全のため晩年は人工透析を行いながら高座に上がっていたが、2005年には脳梗塞(こうそく)で倒れた。その後、復帰したものの、06年に「笑点」の司会を降板。07年2月、国立演芸場で「芝浜」を口演したが、高座の後、「出来に満足できない」として引退を表明。同年11月に胃がん、08年4月には肺がんの手術を受けていた。}

 円楽さんと言えば、笑点大切りの司会として有名で、初代の大喜利メンバーで、当時は「星の王寺様」と呼ばれ、お茶の間の人気ものとなった。落語会の先輩の反対を押し切り、テレビに登場し落語の普及に努めた。師匠の円生とともに落語協会を脱退して落語三遊協会を設立、85年には私財を投じて寄席「若竹」を建設した。4年前に脳梗塞で倒れ、その後腎不全や胃がんを患い、肺に転移し亡くなられた。最長寿番組の笑点を育てたは円楽さんの功績で、落語を普及してくれた落語家さんであった。

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