喜多院法興寺

住職のひとりごと

国内最多81枚の銅鏡副葬は卑弥呼時代のものも

2010-01-09 07:09:17 | Weblog
1月9日付 編集手帳 読売新聞
{俳人、中村苑子さんに鏡を詠んだ句がある。〈 貌 ( かお ) が 棲 ( す ) む 芒 ( すすき ) の中の捨て鏡〉(第一句集『 水妖詞館 ( すいようしかん ) 』より)。心に浮かんだ幻影にしても鬼気迫る情景で、ちょっと怖い。

◆落語などでは、鏡に向かって一心に化粧する女房を亭主が「忍術使いみたいな目ェして」とからかうが、女性がときに激情を、ときに悲嘆をこめて見つめただろう鏡には、「貌が棲む」気配が漂っても不思議ではない。

◆もしや、神秘のベールに包まれたあの女性の“貌”が、ちらりとでも棲んではいまいか――と、鏡の写真に目を凝らしてみる。大和王権初期の大王墓とされる奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め)で、副葬された銅鏡の破片が大量に出土したという。

◆邪馬台国の女王・卑弥呼は中国・魏の皇帝から、魏の年号「 正始 ( せいし ) 元年」に銅鏡を贈られたとされる。出土した破片には、その年号の銘文が入った鏡もあった。大和王権が邪馬台国と直接結びつく可能性も出てくるという。古代日本の国家の成り立ちを鏡がどう映し出すか、専門家の解明を楽しみに待つとしよう◆いまはまだ、謎が棲む古墳のなかの割れ鏡、である。}

 鏡は権力の象徴であったのだろう。何時の時代でも女性は鏡を見て、自分の美しさに見ほれていたのであろうか。今回の奈良県桜井市の前方後円墳「桜井茶臼山古墳」から13種類、計81枚分の銅鏡の破片が発見され、1カ所の墳墓から出土した銅鏡としては過去最多だそうだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿