喜多院法興寺

住職のひとりごと

映画監督の新藤兼人さん100歳で死去

2012-06-01 06:34:43 | Weblog
5月31日 よみうり寸評

 {「生きている限り好きなことをやり抜きたい。老人は決して枯れた存在ではない」――100歳で亡くなった映画監督・新藤兼人さんの言葉だ◆99歳で公開の「一枚のハガキ」が遺作になったが、今年も100歳の誕生パーティーや賞の授賞式に出席するなど、言葉通りに〈生涯現役〉を貫いた◆長年のパートナーだった乙羽信子さんも抗がん剤の注射を受けながら「午後の遺言状」を撮り終え、1994年に70歳で逝った。私生活でも互いに「乙羽さん」「先生」と呼び合っていた生涯現役同士のおしどりだった◆「競馬にたとえれば、第4コーナーを回った80歳から老いをいかに生きるかという映画をつくってみようと思った」◆「映画の中の老人というと、決まって笠智衆さんのような達観した静かな人物に描かれる。それは80代で脚本を書いたり監督したりする人がいなかったからだ」◆「老人が皆枯れているわけでもない」と現役を続けこうも言った。「幸せ、それは自分自身をどれだけ曲げないで来れたかの問題でしょう」}


「裸の島」「午後の遺言状」など映画監督で脚本家の新藤兼人さんが29日午前9時24分、老衰のため東京都港区の自宅で死去、100歳だった。
 独立系映画監督の草分けとして戦争や原爆をはじめ社会性の高いテーマを積極的に映画化したことで知られ、自らの体験を基に戦争に翻弄される庶民の悲劇を描いた昨年の「一枚のハガキ」が遺作となった。死ぬまで現役監督として脚本を書き続けた生き方に敬意を贈りたい。