憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

あの日

2013年08月06日 07時54分15秒 | お知らせ
8/6(火)23℃

昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、眩しいばかりの光と灼熱地獄になった広島。

おはようございます。

広島は今日、68回目の原爆の日を迎えました。米国が原子爆弾を投下してから68年。被爆者や遺族。確実に実体験者は老いてきましたが、被爆の記憶は風化させまいと、「核兵器〓絶対悪」を世界平和のコメントとして世界に発信されようとしている広島市長。
 被爆者健康手帳を持つ被爆者の平均年齢はことし3月末で78・80歳。被爆者の数は20万1779人で、昨年同期に比べて9051人減っているそうです。
当然、被爆者や遺族の肉声を聴く機会は、年々少なくなっており、1発の原爆によって当たり前の日常が奪われた事実。私がまだ幼い頃、戦争体験のない世代には容易には想像すらできない悲惨な体験だったと、お祖父さんやお婆さんに聞かせられました。
また、日清日露戦争で我が子を失い、とても悲しく辛い話も聞かされ、戦争の無意味さ、悲惨さ、あの碑文にある「過ちは」繰り返しちゃいけないって心から思ったものです。
 松井一実市長はことしの平和宣言で、世界の指導者に「核の威嚇」から「信頼と対話」に基づく安全保障への転換を求め、核兵器は絶対悪を世界に平和宣言として発信されるそうです。
 悲しみや怒りを核兵器廃絶の願いに変えてきたヒロシマ。その土台である体験と記憶を受け継ぎ、戦争を知らない子ども達に語り継いでみませんか?
湯来町は、まだ町になっていなかった村時代に疎開先として幼い子ども達がお寺や親戚の家などに避難していたそうです。また、油1滴を確保するために、松の幹に切れ目を入れて松の油を集めたり、湯来温泉の泉源近くに今も現存してますが、松の根を煮込んで松根油を作っていたドラム缶に似た形をした筒状の物があって、町歩きの際に説明させていただいてます。
担うべき使命をかみしめるために、平和について今日一日考えてみませんか?。



硬い話になってしまいましたが、黙祷しながら思いを馳せてみましょう。


でわ、今日も一日元気に楽しく充実した一日でありますように~
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