6/12(木)17℃
おはようございます。
雨も上がり、清々しい朝になりました。昨日の雨で、広島にも「入梅宣言」が出されたようです。今朝のTVで九州で家の裏山斜面が崩れて1人の方の行方がわからないと捜索の状況が映っていました。湯来地区でも数年前に大きな災害があり、こうした報道を見るたびに、気をつけなきゃいけないと思うワタクシでした。
今日は、「日記の日」。1942(昭和17)年、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた日なんですねぇ~。(知ってました?)
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記その物は隠れ家に入る少し前の13歳の誕生日に父から贈られたものと言われています。1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっています。アウシュビッツ収容所での厳しい生活状況や集団処刑など、収用所の実情が最近になって広く知られるようになり、”悲しい歴史”は二度と繰り返してはいけないことだと自分の肝に銘じています。
アンネは1945(昭和20)年3月31日に、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病気が原因で亡くなっています。
もしも、収用所に送られなかったら、どんな日記を書き続けたんだろうかと思うと、何だか胸がジーンとしてきますね。
お読みいただいているこのブログがいつまで書けることやら。文才なし・ネタなし・面白みなし・・・・、皆さんの励ましで1日でも長く書き込みを続けたいと思ってますので、情報提供を宜しくお願いします。
(委員長、毎週水曜日の書き込みが最近途切れてるよ~。役割分担、ヨロシクお頼み申ス~。)
と、今日の話題へ。移行・憩う。
ま、今日の話題じゃないんですが、一昨日10日、水内川の鮎友釣りが解禁でした。ワタクシ、数ヶ月前から”6月10日は休みます”と公言していたので、予定どおりお休み・年休をいただいて川へ出かけてきました。
(自分で朝早く起きたように思われるかもしれませんが、実は起こしていただきました。感謝。気にしながら前日は就寝したんですが自力では起きられず、”行くんじゃないの”の声で時計を見てビックリ。ドタバタドタバタ・・・・・・・、想像にお任せします。)
数年ぶりに、入った川は災害の影響からか川の中にあった石(岩)が無くなってたり、深みが無くなっていたり、今回は釣れるんだろうかと不安一杯の条件でした。が、しかし、そこは腕。目標は40匹だったんですが、夕方に会議が市内であったので午後3時で納竿と相成りました。数はオトリを除いて匹。
数はマアマア納得だったんですが問題はサイズ。さすがに水内川上流に行くとチッチャかったですね。水内川中流で釣れた鮎と比較すると2~3センチの差がありました。
昨日の雨がもう少したくさん降ってくれると川床の岩に付いた古いコケが洗い流され、鮎の食み具合も良くなるんじゃないかと期待してたんですが、チョッと期待ハズレ。来週末ぐらいまで待たないと上流の大物を釣り上げる事はできそうにありません。年券購入費の元を回収するまでは、何度か再チャレンジしてみたいと思います。
年券10,500円÷湯来のオトリ450円/1匹=23.3匹
市販されている養殖鮎の単価だと
10,500円÷125円/1匹=84匹
この試算だと3~4回行かないと元手の回収はできないことになりそう。
ちっちゃくても、香りと味は本物ですね。捕り入れる時に手に香りがしっかり付いてましたし、焼いても”納得”の一品でした。ですので、今後は釣りに出かけるのがいいんだと気分を切り替えることにしました。
山登りもいいけど、川も遊びも止められない止まらない状態です。
皆さんのご感想をお寄せください。
おはようございます。
雨も上がり、清々しい朝になりました。昨日の雨で、広島にも「入梅宣言」が出されたようです。今朝のTVで九州で家の裏山斜面が崩れて1人の方の行方がわからないと捜索の状況が映っていました。湯来地区でも数年前に大きな災害があり、こうした報道を見るたびに、気をつけなきゃいけないと思うワタクシでした。
今日は、「日記の日」。1942(昭和17)年、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた日なんですねぇ~。(知ってました?)
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記その物は隠れ家に入る少し前の13歳の誕生日に父から贈られたものと言われています。1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっています。アウシュビッツ収容所での厳しい生活状況や集団処刑など、収用所の実情が最近になって広く知られるようになり、”悲しい歴史”は二度と繰り返してはいけないことだと自分の肝に銘じています。
アンネは1945(昭和20)年3月31日に、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病気が原因で亡くなっています。
もしも、収用所に送られなかったら、どんな日記を書き続けたんだろうかと思うと、何だか胸がジーンとしてきますね。
お読みいただいているこのブログがいつまで書けることやら。文才なし・ネタなし・面白みなし・・・・、皆さんの励ましで1日でも長く書き込みを続けたいと思ってますので、情報提供を宜しくお願いします。
(委員長、毎週水曜日の書き込みが最近途切れてるよ~。役割分担、ヨロシクお頼み申ス~。)
と、今日の話題へ。移行・憩う。
ま、今日の話題じゃないんですが、一昨日10日、水内川の鮎友釣りが解禁でした。ワタクシ、数ヶ月前から”6月10日は休みます”と公言していたので、予定どおりお休み・年休をいただいて川へ出かけてきました。
(自分で朝早く起きたように思われるかもしれませんが、実は起こしていただきました。感謝。気にしながら前日は就寝したんですが自力では起きられず、”行くんじゃないの”の声で時計を見てビックリ。ドタバタドタバタ・・・・・・・、想像にお任せします。)
数年ぶりに、入った川は災害の影響からか川の中にあった石(岩)が無くなってたり、深みが無くなっていたり、今回は釣れるんだろうかと不安一杯の条件でした。が、しかし、そこは腕。目標は40匹だったんですが、夕方に会議が市内であったので午後3時で納竿と相成りました。数はオトリを除いて匹。
数はマアマア納得だったんですが問題はサイズ。さすがに水内川上流に行くとチッチャかったですね。水内川中流で釣れた鮎と比較すると2~3センチの差がありました。
昨日の雨がもう少したくさん降ってくれると川床の岩に付いた古いコケが洗い流され、鮎の食み具合も良くなるんじゃないかと期待してたんですが、チョッと期待ハズレ。来週末ぐらいまで待たないと上流の大物を釣り上げる事はできそうにありません。年券購入費の元を回収するまでは、何度か再チャレンジしてみたいと思います。
年券10,500円÷湯来のオトリ450円/1匹=23.3匹
市販されている養殖鮎の単価だと
10,500円÷125円/1匹=84匹
この試算だと3~4回行かないと元手の回収はできないことになりそう。
ちっちゃくても、香りと味は本物ですね。捕り入れる時に手に香りがしっかり付いてましたし、焼いても”納得”の一品でした。ですので、今後は釣りに出かけるのがいいんだと気分を切り替えることにしました。
山登りもいいけど、川も遊びも止められない止まらない状態です。
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