秋葉神社周辺の地は、江戸開幕後の元和9年(1622)、土佐藩主山内一豊の甥にあたる山内一唯(かずただ)が、二代将軍秀忠から指扇領三千石を賜り領主となり、中釘村とよばれたこの地陣屋を構えた。秋葉神社の西側には、今も屋号が「陣屋」といわれる、遠藤家、「堀の内」の小川家がある。このあたりはさしお扇でも最も標高がたかく、来た・西・南三方に低地が広がっている。
この辺りを東西に走る道にそって、妙玖寺・永昌寺・法光寺・と阿弥陀寺がある。秋葉通りを行けばよい。二車線どうろであるが、寺はそこから少しはいりこむと見つけられる。さながら歴史街道の趣がある。
食べ物やさんなど店は一軒もない。トイレは秋葉神社でがよい。歩くことそぞろ歩きで、見学時間もいれ、3時間はかかるだろう。
この辺りを東西に走る道にそって、妙玖寺・永昌寺・法光寺・と阿弥陀寺がある。秋葉通りを行けばよい。二車線どうろであるが、寺はそこから少しはいりこむと見つけられる。さながら歴史街道の趣がある。
食べ物やさんなど店は一軒もない。トイレは秋葉神社でがよい。歩くことそぞろ歩きで、見学時間もいれ、3時間はかかるだろう。