印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

妙玖寺の軒丸瓦

2011-02-22 19:02:12 | folk lore
妙玖は山内一唯のお母さんのお名前である。一唯と一輝と妙玖の墓所となっていて、古いお墓がひっそりと、並んでいる。マンサクの花が満開で枯れた葉がいくつかついたままであった。住職の女性がゆかりのひとで、本家が高知でこちらが分家だといっていた。本家は神社でこちらは寺であると、なんどもいっていた。本家の当主は現在東京にすんでいる。用事のときのみ、高知にいかれているようだ。宝物は高知に寄付されたといっていた。

今のかたのお母様が市指定文化財を承諾されたそうで、墓の倒れそうなときの修理の申請に、5年も費やした。といっていた。土佐の本家を保つため、養子入りをしたという話をしてくれた。

今年は蠟梅の咲き具合がわるかったようだ。樹木に覆われた境内はひっそりと眠っているようだった。

陣屋は今はなくて農家になっているということだった。赤山街道の陣屋を思い出した。陣屋には大きな一般の家があった。中の庭をみたと思ったけれど。昔の幕府直轄領の面影をおもわせるものは、なくなっていっている。

軒丸瓦の模様は、かわりとさがしわと教えてくれた。宗派は真宗大谷派ということだ。東本願寺の系統だといわれた。境内に大きなイチョウの木があって、毎年その実を拾って、水に浸し、手で皮を剥いて、檀家さんにお配りしていると言っていた。苦労話はきりがないようだ。

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