印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

八丁堤は関東流

2011-04-02 23:48:44 | folk lore
見沼通船掘りの近辺をあるく。地図の上でなく地形を見ながらあるくのは、愉しい。

今は見沼代用水 芝川 見沼代用水 という川と運河がある。そこに八丁堤があって、それは東と西にわかれていて、間に芝川がある。

八丁とは一丁の8倍で約880m 浦和の附島と川口の木曽呂を結んでいる、八丁の長さある。幅は 西縁のさくのところから、159歩あった。おおよそ、90mくらいか。

江戸時代始めはこの水の流れはなかった。見沼という沼があった。低いところだったようだ。ここに八丁堤を築いた。年表によると、江戸初期の1629年 寛永6年まるでダムのようですね。南側は平地の塀やがみえる。であった。ここに溜井ができた。 この溜井の地図がある。ダムを築いたので、低地に水がたまる。地図を見ると、今の万年寺、片柳、三室氷川神社、大宮、大和田は埋まっていない。

田圃は水がはいるでしょうが、雨がたくさん降ると埋もれるでしょう。年表には1714年舟が転覆して、30名死亡とのっている。

この八丁堤のような工事の仕方を、伊奈流とか、関東流とよんでいるようだ。

地形をよんで、こういう灌漑のしかたをする。今の未曾有の東日本大震災の災害をみると、地形で高台が重要な要素となっている。

この八丁堤のうえに先日歩いた赤山街道がある。木曽呂をとおって、与野まで十ている。ずっと、高台をとおている。

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