犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある手紙(6)

2012-10-28 00:03:39 | 国家・政治・刑罰

(5)から続きます。

 あなたの仕事ぶりは、生き地獄にいる私から見ても誠実だったと思います。頭の良い裁判官だけでは裁判所のシステムは成り立たず、人情味のある書記官がいて、そのバランスが裁判所を支えていることがわかります。でも、本当に裁判所を支えているのは被害者遺族だという自負が私にはあります。私は、もしあなたが人の命よりも儀式の形式を大事にし、娘の死を正義であるという態度を採っていたならば、私は裁判所にガソリンを撒いて火をつけたいという衝動を抑える反動として、裁判所の前でそのガソリンを自分でかぶっていたかも知れません。

 被害者遺族というのも、今や私にとって職業のような肩書きになってしまいましたが、この肩書きは死ぬまで取れません。職業のように辞めることができません。無理であることがわかっていながら辞めたいと思うこと、これは無意味であり、自傷行為ですが、私は自分を苦しめることが止められません。表向きと本音を分けることができる書記官の方々が羨ましく、嫉妬し、目を背けます。

 人はある日突然理不尽に命を落とすことがあるのだという現実の前では、地位も名誉も収入も意味がありません。出世しなくてもいいです。競争する必要はありません。人は、ただ生きているだけで十分です。でも、世間でこれを大声で言うと嫌われるのですね。わかっています。経済の発展を阻害するのですね。ですから、陰で祈るだけです。

 もし、あなたのご両親がご健在でしたら、まずは親よりも先に死なないことです。生きているだけで十分です。ご健康で仕事を続けられることを陰ながらお祈りします。


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フィクションです。

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