今となっては、パソコンや携帯電話がない日本社会は想像できませんが、1960年代への憧憬が単なる懐古趣味に止まらないとすれば、それは情報通信機器なしで生活できていた過去の我々への畏敬の念を含むものと思います。これは、不便な世の中に耐えてきた者に対する同情ではなく、情報通信機器によって奪われた人間の思考力の再認識です。
何かが便利になるということは、人間が何かの能力を使わずに済むようになるということですので、その分だけ何かの能力は衰えているものと思います。そして、その何かが何なのかは良くわからないはずです。1960年代に生きていた日本人は、他者の言葉や気配に対する感度が鋭く、物事を抽象的ではなく具体的に考えていたとの感を強くします。
「人は昔に戻ることはできない」とはあまりに当たり前の事実であり、これを改めて言わなければならないのは、何かを恐れていることの証拠ではないかと思います。60年代に目指していた夢の未来であるところの現在が、「60年代は良かった」であることを認めるのは苦しいからです。