犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

過労自殺のSOSのサインが見抜けない理由

2010-02-01 01:54:45 | 実存・心理・宗教
(同僚の目)

 同僚はその一報を聞き、誰もが「信じられない」との印象を持った。確かに彼の残業時間は月に100時間を超えていたが、この会社では特に珍しいことではない。また、彼には実際に通院歴もなければ、薬を飲んでいた事実もなかった。彼は事務処理能力に長けていたがゆえに、同僚がいつの間にか彼に仕事を押し付けていたことは事実である。しかしながら、彼はそれを楽しみ、事も無げに次々とこなしていた。仕事のことで悩んでいる様子は何もなく、その他の問題で悩んでいた様子もない。過労自殺のSOSのサインなど、誰もキャッチすることができなかった。

 同僚は彼のゴミ箱をあさり、パソコンの文書もメールもすべて調べたが、遺書らしきものは発見できなかった。また、何らかの動機となるような悩みを打ち明けられた者も皆無であり、不平や愚痴を聞いた人もいなかった。彼はその当日も明るく、いつもと同じように談笑しており、動機に結びつくようなものは何も存在しない。その日は、彼は会社に残っていた最後の一人であったが、その間に一体何があったのか、答えは見つかりそうもなかった。

 頭の回転が早く、「感情を引きずるのは自分の責任」というのが彼の座右の銘であった。彼は、どんなに苦しいことがあっても、負の感情を引きずり続けているのは現実を変える努力をしない自らの選択の結果なのだと解釈していた。負の感情をどこで断ち切るのかは自分でコントロールできるのだと語っていた彼が、なぜ死を選んでしまったのか。しかし、今ここでどんな問いを立てたとしても、それは問いのための問いでしかない。

 うつ病の診断書もなく、遺書もないのならば、労災が認められるのは難しい。誰かがこのように言うと、その場の問題意識が微妙に変わった。それは、SOSのサインを探すことを諦める方向に空気を動かした。別の上司は、どこかに変な遺書を書かれていると、かえって迷惑なのだと言った。この言葉を境に、彼の同僚は、SOSのサインを発見できなかった自分を責めるという思考方法を失い始めた。

 いつものように電話が鳴り、FAXが入り始め、日常の仕事が強制的に始まった。彼の死は、取引先には何の関係もないことであり、彼が残した仕事をどう引き継ぐかが緊急の課題として突きつけられた。遺書はいいから、その代わりに引継書を書いて欲しかった。同僚の一人が言うと、誰もが心の中で同意し、その場には小さな笑いが起きた。その後、「なぜSOSのサインが見抜けなかったのか」という問いが社内で立てられることはなかった。


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(本人の目)

 彼はその日、自らの意志で深夜まで会社に残っていた。周りには誰もいなかったが、そのことにも気がつかなかった。仕事に夢中だったからである。仕事は山積みであったが、そのことが彼の気を滅入らせることはなかった。彼の事務処理能力は自他共に認めるほど優れており、超人的なスピードで仕事を片付けても、なお大量の仕事が残っている事実が客観的に明らかだったからである。この客観的事実が客観的事実である限り、彼は心を病むことがなかった。そして、時間を忘れて目の前の仕事を次から次へと片付けていた。

 目の前の電話が鳴った。まだ手が回っておらず、やむを得ず後回しにしていた仕事の取引先であった。「早くしてくださいよ。何をチンタラやってるんですか? 夜中までのんびり仕事してる場合じゃないでしょう」。この電話により、彼の心の安定は、ほんのわずか狂った。それは、大量の仕事が残っている客観的事実の安定の狂いによるものであった。

 さらに数分後、別の取引先からの催促の電話が入った。「モタモタしてないで、早くして下さいよ。あなたのせいで、こちらも仕事が進まなくて困ってるんです。いつまでにできるのか、はっきり約束してくれませんか?」。このタイミングの悪い電話により、彼の心は別の方向に傾いた。それは、「チンタラ」「モタモタ」という先方の主観が、目の前の客観的事実を崩した力であった。ここにおいて、彼が捉えた客観的事実には何の力もなかった。

 電話の相手方も、深夜の残業を強いられている犠牲者であり、同じ悩みを共有する者に違いなかった。しかしながら、彼は、自らの頭をそこまで回転させることの無意味さを悟っており、相手への同情を拒否した。ところが、この日は運悪く、また別の取引先からの悲鳴に近い電話が入った。「いつまで待たせれば気が済むんですか? サボってんじゃないですよ。社会常識ってもんがあるでしょう」。彼の感情はついに爆発した。「こっちだってね、過労死寸前で働いてるんですよ。毎日毎日、家に帰るのは1時とか2時ですよ。あなたはわかって言ってるんですか?」。

 それは、彼が入社以来初めて露わにした感情であり、心の奥底からの叫びであった。しかし、電話の相手方の返事も、やはり心の奥底からの叫びであった。「そんなものは、仕事ができない人の言い訳の典型です。あなたには過労死してもらって、仕事ができる別の担当者に代わってほしいですね」。


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フィクションです。

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