犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

法廷で話せなかったダイレクトメールの話

2010-02-14 01:52:01 | 実存・心理・宗教
 そのダイレクトメールの宛名は息子であった。彼女は、ごく自然に封筒を手にし、その瞬間は母親に戻っていた。この一瞬を喜びと呼ぶにはあまりに悲しすぎ、この一瞬を希望と呼ぶにはあまりにも絶望的であった。
 「皆様方におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」。その会社のデータベースの中では、息子は普通に生き続けている。この一瞬の錯覚が引き起こす現実の喜びは、3ヶ月前にも息子宛てのダイレクトメールを送りつけてきたこの会社には絶対に感づかれたくなかった。マーケティング戦略の中では、ダイレクトメールに反応を示さない消費者と、反応を示せない死者との間に差はなく、どちらも費用対効果のない「外れ弾」にすぎない。
 「このたびは大変申し訳ございませんでした。お詫びの言葉もございません。二度とこのような不手際のないよう、社員一同全力を尽くすことが、せめてもの償いであると存じております」。彼女は3ヶ月前、折れそうな自分の心を、謝罪文の誠意に免じて何とか立て直していたのである。この3ヶ月間、この会社は、一体何をどう全力を尽くしたのか。

 彼女は座り込みたい全身の脱力の中で、再び電話を取った。彼女が淡々と要件を伝えると、電話は「お客様対応センター」に転送された。これは「クレーマー応対センター」の別名である。電話口の中年の男性の口ぶりは、いかにも百戦錬磨の「謝り係」であり、電話口の向こうでペコペコと頭を下げている姿が手に取るように見えた。
 「ご不快なお気持ちにさせてしまい申し訳ございませんでした」。「ご迷惑をお掛けしてお詫びの言葉もございません」。「お気持ちは本当によくわかります」。彼女は、「私の気持ちがわかるわけがないでしょう」と言いかけて、水に落ちた犬を打っているような気になり、それ以上言葉を継ぐことができなかった。
 この誠意ある謝罪が計算され尽くしたマニュアルであるならば、その悪意は人間の心を腐らせるものであり、この誠意ある謝罪が何の計算もないアドリブであるならば、その善意も人間の心を腐らせるものである。この上に個人情報保護やコンプライアンスが覆いかぶさってしまったならば、もはやその心を直視することは難しい。

 彼女は、「お客様対応センター員」の肩書きではなく、人間の声を聞きたかった。彼女は思わず言った。「お詫びはもういいです。あなたは、1人の人間としてどう思うのですか?」。電話口の男性は、思わぬ方向から突然殴られたかのように、急に黙ってしまった。
 彼女は、その沈黙の中に、「私は一刻も早くこの電話を切りたいのです」という彼の意志を読み取らざるを得なかった。これが人間の声であった。次の瞬間、彼女の頭に浮かんだ単語は、ストレス、うつ病、過労死であった。悪意でないミスを執拗に叩き、答えられない質問をぶつけて相手を追い詰めるクレーマーによって、苦情処理係の担当者は心を病んでいる。この力関係が成立している限り、彼女は紛れもないクレーマーであった。
 死者は生きている者には敵わない。死を前提に命が浮かばれる範囲は、輝かしい生に比べれば、何と小さいのか。自らの輝かしい生が、「遺族の感情を逆撫でしたことのお詫び」を導き出し、その同情の視線が自身を苦しめている。死者が生き返らないならば、この世にこれ以上のクレーマーが存在するだろうか。

 その半年後、彼女は検察庁の会議室に座っていた。法廷での被害者遺族の意見陳述の打ち合わせのためである。彼女は、その後も自宅に送られ続けたダイレクトメールを手に、これまでの経緯をひとしきり話すと、検察官に訴えた。「私は、息子を殺した犯人の目の前で、是非この話をしたいと思っています。すべては犯人が犯した罪から始まったことだからです。このような細かい一つ一つの出来事を知ることなしに、犯人の反省も謝罪もあり得ないと私は思います」。
 しかし、検察官は渋い表情で、彼女の意向に難色を示した。「それはお気の毒ですが、被告人の刑の重さと直接関係がないことです。その会社への怒りを被告人に向け変えて、単に八つ当たりしているとの印象も与えかねません。裁判員へのアピールという点からも、やはりお勧めできません」。
 彼女が沈黙していると、検察官は励ますように言った。「その会社には、もっとクレームをつけなきゃ駄目ですよ。責任者に個人名で念書を取らせるとか。親会社にもクレームをつければ、担当者は血相変えて飛んでくるでしょう。こっちは被害者なんですから、強気で攻めていいんですよ」。


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フィクションです。

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2 コメント

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Unknown (文月)
2010-02-17 19:36:38
 以前ブログで書きましたが、同じ体験をしました。一度話したのに、また息子宛にダイレクトメールが来ました。それも息子が迎えられない成人式スーツの。
 担当者はただのクレーマーへの対応でしょうが、私は狂ったように気持ちをぶつけていました。相手はお詫びに自宅へ伺いますと言いましたが断りました。マニュアル対応が分かっていたからです。私が逆の立場でも同じだったでしょう。
絶望感と醒めた気持ちしかありませんでした。
 
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文月様 (某Y.ike)
2010-02-22 00:07:17
こんばんは。
最近の「クレーム対応の技術論」は進化が著しく、1つの立派な研究になっているようですね。「顧客満足を理解する」「お客様の声を神の声にする」「理解と納得のクロージング」「誠意よりも主導権を取る」などの表題が目白押しです。
私も絶望感と醒めた気持ちになってきました。
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