犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

不況になると過労死が増える理由 B社の場合

2009-08-22 00:02:27 | 実存・心理・宗教
「金払え」。この言葉を聞かされれば聞かされるほど、自分の精神の奥底は確実に蝕まれると彼は思った。しかし、組織の中で生活する限り、人はこの言葉の周辺を大真面目で回り続けるしかない。そして、この程度の言葉に人生を賭けていることに改めて疑問を持ってしまっては、人はバカバカしくて生きて行かれないこともある。彼は個人的に大きな負債を背負ったことはなく、借金に追われ続ける生活の苦しさはよくわからなかった。しかし、自分自身が借金をしたわけでもないのに、資金繰りが苦しい会社の社員であるというだけで、その精神は不思議と卑屈になってくる。取引先の社員から電話口で罵倒され、嫌味を言われ、脅され続けると、人はいつの間にか条件反射で謝罪の言葉が出てくるようになる。

取引先の担当者の多くは、いかにも交渉事に慣れている様子であり、計算され尽くしたシナリオに則って、彼のことを不誠実だと個人攻撃してきた。彼は、このような電話には真面目に返事をする価値もないと思っていた。しかし、仕事というものは、この無価値を否応なしに価値だと信じることを強制させられ、しかもその強制に従わなければ身が持たないものである。先方の担当者も、それぞれの役割を渋々演じているはずが、いつの間にか両者で真剣な戦いを繰り広げている。会社間の取引に関するすべての言葉は、突き詰めれば「金払え」に行き着く。このような話を一人の社員が背負い込む道理はないし、そもそも話の内容も大したものではない。しかしながら、組織で働く人間の精神のほとんどは、この大したものではない事柄に支配されるのが通常である。そして、1本の電話によって全身を打ち砕かれ、何時間も不快感を引きずり、さらには夜中まで動悸が続いて寝られなくなる。

今日もA社の担当者から、ひっきりなしに電話が掛かってきた。こちらは答えることなど何もないというのに、嫌がらせのように代金の請求をしてくる。「今日も入金がありませんでした。なぜでしょうか」。「1週間も待てません。明日までにお願いできませんか」。「3時までに電話を下さると言ったのに、もう3時10分です。何で電話をくれないんですか」。口を開けばお金、お金、お金。A社からの電話が続く事態に、彼の上司は、ついに彼を激しく叱責した。「これじゃ営業妨害だろう。お前が毅然とした態度で、もう電話するなと言わないから悪いんだ。払えないものは払えないんだよ。金がないんだから。当たり前だろう。お前はそんな単純なことも相手に説得できないのか? そのくらい、ちゃんと説明しろよ。ガキの使いじゃないんだから。脳味噌ついてるんだろ? お前は担当者として失格だよ。会社に迷惑かけるんじゃないよ」。

こんな会社辞めてやる。彼は毎日のように思っていたが、辞めることはできなかった。今の時代、仕事があるだけで恵まれたことであり、辞めても次の仕事が見つからないことは容易に想像できたからである。ここにおいても、彼の人生設計の全ては不況によって外枠を規定されており、自分の本心に嘘をついて誤魔化す技術が、不況によってますます磨かれていることは明らかであった。もとより、会社内での人間関係で苦労し、会社間での駆け引きに苦労することは、本来人間が成長する上では避けて通れない事項である。しかしながら、彼が立ち向かっている苦悩は、会社の資金繰りが厳しくなければ、その存在すら危うくなるものばかりであった。「金払え」という請求に耐え続ける仕事は、価値がないと見抜いてしまっては耐えられないので、価値がある仕事だと思い込むしかない。この思い込みは、不況が好景気よりも望まれるものでない限り、その足元は常に危うい。

A社の担当者から、3回目の電話があった。今日は木曜日である。彼が「今週中に支払うように努力します」と言ったことを真に受けて、本当に金曜日にお金が支払われるのか、何回でも確認を取りたいらしい。しかし、会社の資金繰りが苦しい現状は、彼の個人的な努力ではどうにもならない。そんな常識もわからないのか。彼は上司の叱責に背中を押されるようにして、いつの間にか声を荒げて、A社の担当者を怒鳴りつけていた。「あなた、私が上司の決済を得ないで、勝手に『払います』と言ったら、それで満足なんですか? あなたは良くても、私の責任になるんですよ。それともあなた、私の代わりに払ってくれるんですか? それだけの覚悟があるんですか? もう二度と電話しないで下さい」。彼は一方的に話し、一方的に電話を切った。その後で、全身を貫くような脱力感が襲ってきた。

彼がパソコンを開くと、次から次へとウィンドウが出てきた。閉じても閉じても、その下から新しいウィンドウがどんどん出てきて、必死でマウスを動かす彼をあざ笑うかのように、画面が埋め尽くされてしまった。強制的にスイッチを切っても切れない。ついにパソコンが変な音を立て始めたところで、目が覚めた。金曜日の朝であった。起きようとしても起きられない。どうしても体が動かない。彼は、必死に起き上がって、会社に行く準備を整えた。自分には会社を辞める勇気などない。今の時代、会社を辞めてしまっては、その先に待っているのは不安と貧困だけである。しかし、どうしても足が動かない。彼は、これまで必死に隠蔽してきた現実に、自分の精神が耐え切れなくなったのだと思った。もはや会社に行っても絶望、会社に行かなくても絶望である。そして、この絶望の引き金は、B社の上司や経営陣ではなく、A社の担当者によって引かれてしまったのだと思った。


(フィクションです。)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。