犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

今年も1年間ありがとうございました

2008-12-31 18:46:40 | その他
ブログを書くということは、自分自身の存在を確認することだと思います。ブログという形式ついては、本来個人的な日記に書くべきプライベートな内容を全世界に公開するものであり、様々な問題を引き起こすという側面もあるようです。しかしながら、自分自身に真摯に向き合ってその立ち位置を確認するという意味では、不特定多数に読まれる可能性というものが、むしろ「個人的な日記を書く」という行為に合致している面もあるようです。どんな人気ブログでも訪問者数は1日に1万人程度ですから、ネットに載せられた情報は一瞬で地球の裏側に到達して65億人に読まれるという危険性を強調することも、あまり的を射ていないように思われます。

私はブログのテーマを「現代の法律や裁判制度について哲学的視点から考えること」に置き、自分自身の試行錯誤の過程として矛盾を恐れず、その都度考えたことを自分の確認のために書いていくことしました。その結果として、大した知識や理論もなく、直観と第一印象だけで書きたいことを文章化しており、しかもその日によって視点が大きくぶれています。そればかりか、私自身はこれまで最愛の人を不慮の事故や事件で亡くすという経験をしたことがありませんので、このような文章を書く資格があるのかも非常に怪しいところです。このようなブログであるにもかかわらず、今年はそのような経験をされた方から数多くのコメントを頂くことになりました。身に余る光栄です。

来年は、被害者参加制度が本格的に始まるのに加えて、5月からは裁判員制度が開始されることになります。国民的な賛否両論の副産物か、世論調査の結果では被害者参加制度が5割以上、裁判員制度は9割以上がその内容も含めて国民に周知されているようです。法律事務所の仕事もいよいよ忙しくなり、私もある時には被告人の命の尊さを裁判員に訴えて死刑回避を求め、またある時には被害者の命の尊さを裁判員に訴えて死刑判決を求めることになるかも知れません。器用に仕事と割り切ることができない私の頭ではかなり混乱して、なかなか折り合いが付けられないことも多いかと思います。そのような時には、ブログという形式の利点を生かして、このブログで自分自身の存在を確認したいと思っています。

来年はあまりブログに記事を投稿できないかも知れませんが、週に2回~3回は投稿できればと思います。私の駄文の内容に全面的に賛成して下さる方は少ないと思いますが、一般的な賛成・反対ということではなく、読まれた方が私の文章に直接関係がないことを色々と考える足がかりとなるのであれば、私としては望外の喜びです。来年もよろしくお願い致します。

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