犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

光市母子殺害事件差戻審 31・ 反省型弁護と闘争型弁護の使い分けは小賢しい

2008-04-19 14:29:06 | 実存・心理・宗教
光市母子殺害事件の差戻審は、広島高裁で12回にわたって開かれた公判では、裁判所が認定した犯罪事実をめぐって検察側と弁護側が正面から対立し、激しく争われた。元少年の被告人質問は計17時間にも及び、元少年はこれまでずっと殺意を認めていたにもかかわらず、事件から8年が経過して、初めて殺意を否認した。一般社会ではもちろんこのような理屈は通用しないが、柵の中ではこのような理屈を通用させている。これが人権論の人権論たるゆえんであり、俗に「人権しか頼るものがなくなった人は一般社会に戻れない」と言われるところである。

元少年の殺意の否認は、弁護戦術としては至極妥当である。従って、一般社会から「遺族の感情を踏みにじるものだ」「最後の悪あがきだ」との批判を受けても、その言葉が通常の意味で伝わることはない。もともと柵の中と柵の外の論理が異なる以上、「国民は刑事裁判というものを理解していない」「弁護人の職務を誠実に遂行しているだけだ」と言われればその通りであり、取り付く島もなくなるからである。かくして、元少年側は「捜査官から容疑を認めないと死刑になる可能性が高い」と言われ、不当な誘導をされ、本当は殺意はなかったのに殺意があったと言わされていたと主張することになる。それにしても、8年間は長すぎる。

このような弁護団の戦術は、「反省型弁護」と「闘争型弁護」の使い分けと言われ、弁護団の言うとおり、刑事裁判における弁護人の職務を誠実に遂行していることの表われである。すなわち、動かぬ証拠が揃っていて有罪を免れない場合には、少しでも宣告刑を短くするために反省の念を示し、有利な情状を引き出すようにする(反省型弁護)。これに対し、事実認定が微妙で無罪や軽い構成要件の認定が取れそうな場合には、細かく検察官の主張する事実を弾劾し、徹底して争う(闘争型弁護)。これは近代刑事裁判においては大前提となっており、国民からの違和感の表明に聞く耳を持たないのは、弁護団だけではなく検察官も裁判所も同様である。

弁護団が8年も経ってから殺意を否認し始めたのは、反省型弁護から闘争型弁護に方針を変更したことの表われである。その意味で、捜査官の言葉がポイントとなっていたという主張は正しい。もしも、最初の山口地裁で死刑の判決が出ていれば、最初の広島高裁において殺意を否認していた。また、もしも最初の広島高裁において死刑の判決が出ていれば、最高裁で殺意を否認していた。ところが実際には、最高裁で初めて死刑の可能性をほのめかされたため、差戻し審で初めて殺意を否認しただけの話である。反省型弁護から闘争型弁護への刑事弁護の戦略としては、一般的な筋書きに則っている。

多くの国民がこの裁判に違和感を表明したのは、この「戦略」や「弁護戦術」という思考方法そのものである。本村洋氏の涙の会見の前では、このような問題の立て方そのものの小賢しさが暴露される。弁護団がどんなに「国民は刑事裁判というものを理解していない」と言っても、その理解そのものを問うている以上、弁護団への批判が収まることはない。元少年が、殺意についての供述の変遷の理由を捜査官の誘導に求めるということは、殺意の有無について、「自らが死刑になるか否か」という効果の点から逆算して戦略的に決めているということである。一般社会では、このような行動は「誠意がない」「被害者をバカにしている」と呼ばれる。

加害者側の論理からは、殺人未遂罪のほうが傷害致死罪よりも刑が重い。これは、刑法は人命尊重を第一の基準とはしていないと正面から宣言していることの表われである。これに対して、被害者遺族側の論理は、とにかく被害者に生きていてほしかった、この一点に尽きる。加害者に殺意があろうとなかろうと、命を奪われた被害者は帰らないのだから、こんな争いは本当はどちらでもいい。もし妻や娘が帰ってくるならば、細かい事実認定などどちらでもいい。もし妻や娘を返してくれるならば、いくらでも赦してやる。近代刑法の実証主義は、この不可能性の絶望を最初に切り捨てたが、現実の犯罪においてこれが消えるはずもない。ここを被害者側に指摘されると、反省型弁護と闘争型弁護の使い分けの戦略など、あまりに卑しすぎて見ていられなくなる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。